自満ブログ

自己満足のブログ、略して自満ブログ。 どうやら自満のために生きている筆者のブログ

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書評ではないのだが・・・  

『王安石』(中公文庫/佐伯富著)
王安石


中国「宋」代と言えば、「水滸伝」の背景となった時代。
『官を得んと欲すれば、人を殺し火を放って招安を受く』
(この時代、兵が弱体化したため、手ごわい盗賊の類をそのまま軍に編入した)
また、民もそうならざるを得ない社会であった。
そんな時代に現れ、社会改革を断行した人物。
それが王安石。

『夫(そ)れ中人の上に出ずる者は窮すると雖(いえど)も君子たるを失わず。
『中人の下に出ずる者は泰(ゆた)かなりと雖も小人たるを失わず。
『ただ中人は然らず、窮すれば則(すなわ)ち小人となり、泰かなれば君子となる。
『計(はか)るに、天下の士は中人の上下に出ずる者は千百にして十が一なし。
『窮しては小人となり、泰かにして君子となる』
そんな認識のもと、当時の制度が民を苦しめている現実を凝視し、
口やかましいだけの旧法党の反対に逐一反論し、新法を行なった。

その王安石の改革の内容と、よって来たる時代背景が十分に描かれているのが本書。
学者の書いた本という性格上、決して読み易い本ではないかもしれない。
しかし、王安石の改革の精神が伝わってくる絶好の書。

中国にはすごい人物がいるもんだ・・・
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3時間かけて  

あ~ァ、消しちゃった

     消しちゃった

     消しちゃった
     
     消しちゃった~~っ!
                         

ハ~ァ・・・
     

メッセンジャー  

世に、他人の世話になることが嫌な人がいる。
私が良く知る大工の話。

彼は他人と一緒に仕事をするのが苦手。
合わせることは出来るが、余計な気を使うのが嫌らしい。
材料を階段のない二階に上げるのも、工夫して一人で上げる。
彼に言わせると、
「気ィ使うよっか、頭と体を使う方がいい」のだそうである。

そんな彼も、「上げるの手伝いますよ」と言われて、断りきれないことがある。
すぐに手伝ってもらう場合はまだいい。
しかし、それが間を置いて手伝ってもらうことになる場合は・・・

休憩のときのこと。
「コンパネ上げるなら手伝いますよ」と塗装屋さん。
断りたい件の大工「あに~っ!年寄りだと思ってバカにすな!」(笑)「大丈夫、一人でボチボチ上げるから。上げる前にやることもあるし。」
休憩が終わり、
「じゃ、上げるとき声掛けてください」そういい残して、塗装屋は自分の仕事にかかるため別の部屋に立つ・・・
『(手伝って)いらね~よォ!』と言うわけにもいかず、「はい、よろしく~っ!」
『ああ、メンドクサイ…』

上げる用意ができた。
さて、塗装屋さんに声を掛けねば(ああ、メンドクサイ)。
『上げてもらえる?』
と言えば、気軽にやってもらえることはわかっている。
『どうもね~!』
で相手も満足してくれることもわかっている。
でも、それは嘘をつくことなのである。
本当はうれしくないないのに・・・。
本当は『放っといてくれ』という性格の悪い人間なのに・・・。

で、大工が言った言葉は…。

大工「塗装屋さん、なんかあっちで大工が『コンパネ上げろ』って騒いでるんだけど、どうする?」
塗装屋さん「ああ、あのメガネ掛けた大工ですか?ククク…」
大工、メガネを直しながら「うん、そう。でも忙しけりゃ、『コンパネぐらい自分であげろっ!』って言っとくけど?」
塗装屋さん「しょうがね~なァ、上げてやりますか?アッハッハ!」

そう来なくっちゃ!
ああ、これで気が楽になった。
『たかだかコンパネを上げるのを手伝うくらいで、塗装屋めっ!なんて恩着せがましい奴だ…ワッハッハ!』
全く性格の悪い大工である。

鼻うがい  

チーバカ、
昔から風邪には滅法弱かった。
冬になると、毎年のように風邪に罹っていた。
よく扁桃腺が腫れるため、ルゴールは常備薬で、
いつも自分で、ノドチンコに綿棒で塗っていた。

大きくなって、
風邪になると、鼻の奥・口の上が熱をもち、そこが患部であると思うようになった。
そこを冷やしたい…
しかし、自分ではどうすることも出来ない。
そう思っていた。

新聞の投書欄で、「『鼻うがい』がいい」という話しを見る。
しかし、そのときは風邪に罹っていなかったため、
「フ~ン」と思っただけであった。

10年ほど前、
いつものように風邪にかかり、
塩水でうがいしていたときのこと。
ガラガラガラガラ…
吐き出そうとしたとき、なにかの拍子に塩水が鼻に入り、
ゲホ!ゲホ!
鼻から塩水が、タラ~リ・・・

あ、「あそこ」に塩水が行った。
お~そうであったか!
こうすれば「あそこ」に水が通るのか!
う~む、なんかいい感じ。
『鼻うがい』のなんたるかは全く知らないチーバカ、
これが『鼻うがい』であると思ったのである。

ネットを始めてから知った『鼻うがい』は、
どうやら鼻から入れて、反対側の鼻、あるいは口から出すもののようである。
しかし、それとは知らぬチーバカ、
奇人・変人コーナーに出られるような技を習得すべく、
『チーバカ鼻うがい』に励む。
しかも、鼻の粘膜に悪いウルトラ高濃度の塩水で。

初期だったためか、二日ほどで風邪が治ってしまった。
以後、風邪をひくと『チーバカ鼻うがい』をして、自分で治している。
インフルエンザにも多分何度か罹っている。
しかし、チーバカは2~3日で回復してしまい、
症状は嫁に出るだけである。
ここ10年ほど、風邪で苦しんだことはない。

塩水を鼻から垂らすチーバカを見て、
『チーバカ鼻うがい』を白い目で見ていた嫁も、
去年は、よほど辛かったのか、秘かに試していた。
塩水がわづかに通ったは一度だけだったらしいが、
「少しはいいかも」と言っていた。
その後、修行に励んだようだが、二度と通ることはなく、
結局、寝込んでしまった・・・。

世間ではインフルエンザが流行っているようだが、
チーバカ、いつでも『鼻うがい』ですぐに治すことができるので、
全然心配していない。

風邪をひくと、鼻の奥に熱を持つ人は、
一度『鼻うがい』を試してみては?
初期であれば、2~3回(朝・夜一回づつ)で直ってしまいますョ。
ググればやり方や効用もたくさん出てきます。

ただし、『チーバカ鼻うがい』は修行が必要ですが。

たまには『ありがとう』  

その少女、
名は小石(こいし)。

秋風の中、ずぶ濡れになって、
泣き止まない赤ん坊を前に途方に暮れていた。

子守の途中、
井戸辺で一休みしているうち、赤ん坊諸共井戸へ。
幸い浅かったため、なんとか自力で這い上がったのであるが…。

帰る家は既にない。
親戚の家に子守として居させてもらっている身。
こんな不始末をして、どうしていいかわからない。
寒さに震えながらも、せめて赤ん坊が泣き止んでくれないかと あやしてはみるが、
徒労でしかなかった。

どれほどの時間が経っただろう。
たまたま通りがかった、やはり親戚の小母さんがその光景を見咎める。
「まあ!どうしたの、こんなに濡れて!」
彼女を自分の家に連れて帰り、
赤ん坊共々乾いた着物を着せてくれ、
寒さで震える小石に、金平糖を一粒食べさせる。


「あの金平糖はほんとうに美味しかった」
祖母は嬉しそうな顔に戻って私に言った。
外孫であるチーバカが唯一祖母から聞いた『思い出話し』である。

どこやらのブログで紹介されてい『コクーン』という映画のはなしを読んで、
ふとそんなことを思い出し、
祖母に優しくしてくれた、その『小母さん』にお礼が言いたくなったのである。

私が知る限り、祖母は常に控えめで、言いたいことがあってもじっと我慢する。
そんな性格である。
幼い頃からの身の処し方が浸み付いているのだと思う。
逆に考えると、彼女の子供の頃の生活がどんなものであったのか、
想像すると不憫でならない…。

そんな中でも、幼い彼女に優しくしてくれたこの『小母さん』。
思い出として孫に語れる話しにしてくれたこの方に、
彼女の孫として、80年以上も経った今ではありますが、

ありがとうございます。


能書きを言おう思っていたのでありますが、
ちょっと素直になり過ぎてしまったチーバカではありました。

いわゆる『差別』によせて  

小学校4年の頃の話である。
顔全面に大ヤケドを負ったクラスメートがいた。
いつからなのかは知らないが、ある程度以前のことであろう、
包帯から露出している部分もかなり多く、
ケロイドがはっきり見えていた。

子供とは残酷なもので、
『人と違う』というただそれだけで平気で人を差別する。
チーバカ、
他のクラスメートと共に、その彼の顔をからかっていた。
囃し立てると向かってくるのが面白くて、からかう日々が続いた・・・

こちらは『軽い遊び』のつもりでも、
彼にとっては当然ながら『深刻な問題』であったろう。
ある日、彼は首謀者である私が学校に来るのを待ち構えていた。

今のいわゆるイジメとは違うかもしれない。
『正しい子供のあり方』を指導されないチーバカにとっては、
悪いことをしている意識は少ない。
そのせいか、『軽い遊び』以外のときは、彼とは普通に付き合っていたのである。

ヤケドした顔の表情からはわからないが、
雰囲気で、彼が思いつめているのがわかる。
「オハヨウ。・・・どうした?」
彼は私に一枚の写真を差し出す。
入学のときの記念写真。
写真屋さんで撮ったものである。
端正な顔立ちの利発そうな子供が写っている。
そう、ヤケド前の彼の写真である…。

この瞬間、全てのことを理解した。
いや、少なくともそう思った。
彼がどれほど悩んでいたか。
それを母親に打ち明けたであろうこと。
それに対して写真を渡した、優しく賢い母がいること。
そしてなによりも、彼が全く自分と同じ小学生であること…。
そう、なにも違いなどないということ。

そして自分は
顔面のヤケドというハンディーを負った彼をからかっていたということ…。

「これオマエ?」
「うん!」
「スゲ~ッ!カッコいいじゃん!」本心ではあるが、必要以上に力が入る。
やはり表情からはわからないが、とても嬉しそうな顔をしているのがわかる。

チーバカ、その写真をもって、クラスの誰彼となく見せて回る。
もう彼をからかおうと思う不心得者がいなくなるように。
『今後もし彼をからかうことがあれば、そのときはオレが相手だ!』
おい、おい、張本人が何を言う・・・
そんな思いを込めて。

こうしてチーバカ、一つオトナになったのでありました。

冒頭陳述 1  

どうやらこの記事の役目は終わったようなので、失礼致します。

冒頭陳述 2  

折角来て下さったのに申し訳ありません。

冒頭陳述 3  

残念!遅かった!

冒頭陳述4  

他をあたってね。
まだ置いてある人いるから。

冒頭陳述5  

入力するの疲れたんだけど、甲斐があったってもんだね。ジャ!

乙女大師   

チーバカには大変仲のいい一つ上の姉がいる。
どれほど仲がいいか?

中学入学後、最初の朝礼。
校長がある作文を読んで、「この子は何が言いたかったんだろう?」と問う。

毎朝当番でトイレの掃除をしている少女。
朝の寒さ、汚れた便器…
でも、これは自分の仕事と掃除に励む。
そんな話。

校長の「どうして皆、顔を伏せるのかな?」との挑発に、
チーバカ、うっかり乗ってしまう。
「はい、君!」

簡単な国語の問題である。
正解は『これが私の仕事だ』という件(くだり)である。
つまり、「これが自分の与えられた仕事なので、辛いけれど頑張っている」と。
ピンポ~ン!

と、思いきや、
どうやら校長の意にそぐわぬ解答だったらしく、
なんのコメントもなく、スルーされてしまった!
ヲイ!正解にしろ不正解にしろ、フォローコメントの場面だろっ!

結局、次の女子生徒のわけのわからないグダグダ解答を、無理やり正解に見立てて、
「そうだね!この子は『自分の仕事が辛い』と言いたかったんだねっ!」
と、自説に持っていってしまった。。。
オイ、オイ、『辛い』じゃなくて『頑張っている』ってだろ。
ったく、困ったじじいだ…。


朝礼の事などすっかり忘れて自宅でゴロゴロしていると、
姉が帰宅するなり、チーバカに駆け寄る。
「オマエは間違ってない!」
「???」
「私もオマエと同じ答えだったし、クラスのみんなに聞いても同じ答えだったんだからっ!」
ああ、なるほど、朝礼の件か。
全校生徒600名の前で、かわいい弟が不当に恥をかかされて、
持ち前の正義感と弟思いの気持ちから、
その日一日、この件で頭が一杯であったのである…。

憤懣やるかたない様子の姉が可笑しくて、
といって、爆笑するわけにもいかないほど真剣な様子に、
ニヤニヤしながら「あァ、そうなんだァ。間違ってはいなかったよね。」

弟の笑顔にホッしたものの、怒りは収まらない。
「あの百姓親爺!」
ひとしきり校長へ悪態をついた後、
弟の輝かしき正解、必要にして十分なパーフェクトな解答のあとに答えた女子生徒へと怒りの矛先が向かう。
「ダラダラとわけのわからないこと言って…」
い、い、いや、姉上、彼女に罪はありません。ククククク…


なぜこんなことを思い出したか?

『作文の感想としてなら、校長の受け取り方もありかな?』
と思っていたのだが、
今日、仕事をしていて、
『あ、校長の受け取り方は、やっぱいけないなァ』
と、実感として考えるに至ったのである。
作文を書いた彼女のために・・・


仕事の話に続く

チーバカ 法律に遭う  

世には素直な人間が多い。
例えば、「法律だから守らねばならない」。
チーバカにとって法律は、理性の下に位置する。

見通しのいい道路。
車の通りの全くない横断歩道。
信号は赤。
あなたならどうするか?

間抜けな顔で信号が変わるのを待つ。
はい、あなたは屠殺場に行くまでケージの中で配合飼料を食べて暮らして下さい。

子供の頃、車の前を走り抜けるゲームをしていたチーバカ(運転手さんゴメンナサイ)にとって、
それは耐えられないことであった。
赤信号には気をとられず、車の気配に気を配ったのち、なんのためらいも無く渡る。

渡りきると交番の前に立っていた警察官が呼び止める。
「道路交通法違反」だと言う。

信号機の信号等に従う義務)第7条
 道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(前条第1項後段の場合においては、当該手信号等)に従わなければならない
(罰則 第119条第1項第1号の2、同条第2項、第121条第1項第1号)

これに対する罰則は
第121条 次の各号のいずれかに該当する者は、2万円以下の罰金又は科料に処する
1.第4条(公安委員会の交通規制)第1項後段に規定する警察官の現場における指示若しくは第6条(警察官等の交通規制)第4項の規定による警察官の禁止若しくは制限に従わず、又は第7条(信号機の信号等に従う義務)若しくは第8条(通行の禁止等)第1項の規定に違反した歩行者


しかし、

第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする


もちろん、総則をあげるまでもなく、
普通に理性の働く別の警察官によって、
チーバカに因縁をつけた警察官はたしなめられた。

(目的)を達するために各条文がある。
逆ではない。
そして条文であらゆるケースを網羅することはできない。
理性と矛盾する場合も当然出てくる。
条文をもって「法律であるから守らねばならない」と主張する人間。
理性を法律に預け、思考を放棄した人間であり、
いずれ痛い目にあうこととなる。

いや、既に人類は痛い目にあってきたはずである。

<追記>
記事を読み直して、我ながら性格の悪さに驚く。
間抜けな顔で信号が変わるのを待つ。
はい、あなたは屠殺場に行くまでケージの中で配合飼料を食べて暮らして下さい。

とは…
しかし、思うところあって、この文は残しておくことにして、
言い訳をさせていただく。

元来、喧嘩好きで性格の悪いチーバカ。
この部分の文を書いているときに、
一般の読者ではなく、頭の固い、法律さえ守っていれば自分は正しいと考えている人間を思い浮かべて書いていた。
『奴にひとこと言ってやらねば!』

実際にそんな相手がいて、反論するきにのみ意味を持つ言葉なのであるが、
ついうっかり使ってしまう。
平和主義的な人には理解できないかもしれないが、
私のように喧嘩好きの人間には結構ありがちなことなのである。

どこかに同類がいると思う…。
それは別として、
読者の方々は、こんな愚かなチーバカをどーかひとつ、
生暖かい目で見守ってやって欲しいのであります。
反省を込めて…

シートベルト着用義務違反  

急に忙しくなったのと、
話をこね回していたのとで、記事が滞った。
サクッと書こう。

シートベルトは反対ではないが、
それが法律で義務付けることには反対である。
自分の命の守り方は自分で決める。
余計なことは言っても良いが、交通をみだす恐れなど一切無い。
それに従わないからといって罰するのはおかしな話である。
だから取り締まる警察と議論になる。
おおむねどの警察官も、渋々ながら認めざるを得ないようであるが、
過去に一人だけ、認めようとせず、取締りを正当化しようとした若い警察官がいた。

一斉取締り。
いつものように、記憶に残りやすいように大きな声で説明する。
「シートベルトが悪いと言ってんじゃない。法律で決めることじゃァないだろうと言ってるんだ。
「ウォシュレットがケツにいいからと法律で義務付けたら『おい待てよ』って思うだろっ?」
普通はここで、意味を理解し「じゃあどうして欲しいというのか」とか訊いてくる。
法律改正?違反免除?
とんでもない!
キャンペーンを貼って取り締まりをする、のを止めろ。なのである。
チーバカ、義兄が警察官なのでその忙しさを知っている。
下らない取締りをするくらいなら、澱のように溜まっている書類を片付けろ。
「私は仕事をしてます」気分になっているんじゃねェ!なのである。

あ、サクッと書くつもりが…

しかし、その若い警官、理解しているにもかかわらず、
『たかだか職人風情のアンちゃん(チーバカ見た目は若い)』にはやり込められたくないらしい。
法律は正しいと言い張り、
「とにかく法律に違反している」

しょうがない…。
「なにかい?おめェは法律に違反しているのを目にしたら、必ず捕まえてるってェのか?
「速度オーバーも見過ごさないってェのか?」
5キロや10キロオーバーで一々捕まえてたら、捕まらない車などほぼ皆無。
そんなことはあり得ない。

しかしこの警官、
「違反は必ず捕まえている!」と…。
そこまでしてチーバカとの議論に勝ちたいか?

チーバカ、腹に力を入れ、
「嘘をつくな!恥ずかしくないのか!」
一瞬にしてその警官が凍りつく。
まさに茫然自失の態であった。
口をうっすら開き、目は中空の一点をぼんやり見てたまま固まってしまっている。

あちゃ~っ、やっちまった…。

別の警察官たちが異変に気付き寄って来る。
一人は、なすがままの彼を促し、
一人は、チーバカの対応。
警察官(責任者)「またアンタか…」
訊きもしないのに、ここで三日間取締りをすること、ここを通らずに現場に向かえる道を教えてくれる。
もちろん違反切符は切って。
彼とは既に『お話し』済みで、チーバカがどんな性格であるかをよく知っていた。
道を教えても無駄であることもわかっているようであった。

最近は管内で取り締まりに遭わない。
飲酒の取締りで忙しいのかもしれない。
今度遭ったときは、「まだシートベルトの取締りをやってるのかっ!」で始めようかな?
顔見知りが増えるとつらいなァ。

少年法 1  

最近は高校生と行き会わないのでわからないが、
以前はよく高校生の喫煙を見かけた。

もちろん未成年の喫煙は法律で禁じられていることであり、
それを守らせたい大人がいることも知っている。
だが、そんな高校生を苦々しく思いながらも、彼らを注意する大人は少ない。
必ずしも彼らを恐れてのことだけではない。
理屈では彼らを説得できないからである。

法律で禁じられている?
「大人が良くて、未成年がダメというのはおかしい」

子供の成長期にタバコは悪い影響を…
「オマエに何の関係がある?ほっとけ!」

チーバカ、ヘビースモーカーであり、中高生がタバコを吸おうが別にどうとも思わない。
むしろ、『そう、そう。そうして君も由緒正しき立派なヘビースモーカーとなり、共に冷たい世間の目と闘おうではないか!同志よ!』
と、思うのである。ワハハ!
しかし、高校生がタバコを吸っているのを見ると、必ず注意をする。


「コラッ!高校生が堂々とタバコ吸ってんじゃない!」
コンビニの前で高校生二人がタバコを吸っていた。
あるいは『堂々と』という言葉の意味に戸惑ったのか、
顔を見合わせ、どう対応しようか思案気であった。

『堂々と』はいけないなら、『こっそりと』ならいいのか?
単に『タバコを吸うな』と言っているわけではない。
こいつ、どう攻めてくるのかわからない…
理屈じゃなきゃ、力ずく?
喧嘩は強そうには見えないが…

タバコを高校生が人前で吸っている。
確信犯である。
『さあ、どうぞ。遠慮なくかかってきなさい』
シートベルトをしないどこかのdaikuと同じだったりする。
ただ、彼らは若い。
自分のやっていることの意味がわからない。
彼らは大人を試しているのである。
『いけない』とされているが、『理屈がおかしい』と思える行為をすることで大人の対応を見る。
それを無視してはいけない。
彼らが勘違いをしてしまう。
自分の理屈さえ正しければ、何をやっても許される。
人の目なんざァ、気にすることはない…。
あるいは、
大人なんざ俺達を怖がって注意もできない。
情けない奴らだ;
やっぱ、世の中『力』だな…。

ま、なにかあっても高校生二人くらいならどうにかなるだろう。
と、思っていたら…
建物の陰から、私服というか作業着のようなものを着たのが三人、
タバコを吸いながらゾロゾロ出て来た。
「高校生がダメだと言うんなら、俺達もダメだってことか?」
どうやら、お仲間のようである・・・

長くなったので、つづく…

少年法 2  

「高校生がダメだと言うんなら、俺達もダメだってことか?」

『やばっ、こっちにもいたか…』
しかし、高校生を注意した時点で戦闘モードに入っていたチーバカ、
心の動揺は表には見せず、
明らかにリーダー格と思われる少年を見据え、
「ああ、オメーが未成年だと言うんならな。」

『堂々と吸うな』と同じ意味である。
制服を着てたら陰で吸え。
人前で吸いたかったら、未成年とわからないようにしろ。
なのである。

おそらく初めて聞く理屈だったため、どう反論してよいか戸惑ったのか、
あるいは、一見真面目そうなサラリーマンが、突然自分達が慣れ親しんだ話し方をしてきたのに警戒したのか、
沈黙が流れる。

『こいつ、上げた拳の降ろし場所がないか?理屈抜きになったら…、しゃーない、二人くらいひっぱたいて逃げっちゃおっか?』
なんぞと考えなら睨み付けていた眼の端に、
高校生がタバコを吸おうとするのが見えた。

「吸うなって言ってんだろうが!」
と、一喝。
慌てて高校生がタバコを消す。
これでまるく解決。

高校生の応援で駆けつけた少年。
当の高校生が白旗を揚げては、もうどうしようもない。

かくして法の番人たるチーバカ、少年に一瞥を加え、
何事も無かったかのようにゆっくりとその場を立ち去ったのでありました。
メデタシ、メデタシ。

おそらく少年の主張は「法律がおかしい」なのであったと思う。
『おれらは注意されないが、同級の高校生は注意される…
彼らに代わって俺が相手をしてやる…』

しかし、この『法の番人』、
実は『無法者』であったのである。
それが彼の誤算であった。

言っておく。
このお節介オヤジは、君達がトラブルに遭っているときは、無条件で手を差し伸べる覚悟をしているオヤジでもある。
こんな少年法
(この法律の目的)第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
と一緒にしないで欲しい。

変える?変わる?  

「貰って欲しい」
「わかりました。いただきます。」
物のやり取りではない。

こうして母が父の元へやってきた。

しかし、その会話には背景がある。

母は子供の頃、下半身に大ヤケドを負い、生死の境をさ迷った。
賢く働き者ではあったが、
その身体的ハンディーは致命的であったのである。
祖父は娘を託すに足る男をみつけのであった。

父はハンディーにひるむこともなく母を受け入れ、
結婚の後も、一度として浮気することもなかった。
そして、そのことを恩に着せるような様子は一切見せなかった。
祖父の見込んだ男であったのだ。

それがなぜ…?

思わせぶりに、続く。へっへっへ。

変える?変わる? Ⅱ  

祖父は博労(ばくろう)といって、牛馬の売買の仲介のような仕事を生業としていた。
しかし、義侠心に篤く、他人には大いに喜ばれていたようだが、
家族の苦労は大変であった。

戦争から帰った祖父は、そこで負った精神的苦悩からか、酒に溺れ、
家計は祖母の細腕では支えることができず、
長女である母が、弟妹の面倒をみながらも働かざるを得なかった。

自分なら我慢できる。
でも、幼い弟妹に辛い思いはさせたくない…
そんな思いから、人一倍働いた。

そんな母が
若くして独立し、棟梁として会社を立ち上げていた父の元に嫁いできたのである。

貧しかったわけではない。
むしろ世間よりは多少とも収入はあった。
三種の神器は早い時期に揃っていた。

しかし貧しさの中で育った母は、いつなんどきどんな事がおこるかもしれない。
そんな心配が常にあった。
動かす金額は大きいが、常に仕事があるという保証はない。
まして、住み込みも含めた若い衆達がいる。
彼らには、仕事が無くても生活費を払わなければならない…
「使う人間にはなるな、使われる人間になれ」
チーバカ、母から何度となく言われた言葉である。

子供に手が掛からなくなると、母は現場の手伝いをするようになった。
チーバカの幼い頃の微かな記憶にある唯一の夫婦喧嘩は、あるいはそのきっかけだったのかもしれない。
つまり、収入の安定を求める母の感情の発現、
有体に言うならば、「もっと家庭の将来のことを考えて!」
母には車もテレビも冷蔵庫も洗濯機も必要はない、貯蓄という安心が必要だったのである。
それは母が幼い頃からの体験に基づく切実な願いであった。
そう思う。
でなければ、仕事に厳格だった父が母の手伝いを簡単に認めるわけはない。

しかし、状況は母の思い通りにはいかなかった。
仕事は多少早くなっても、肝心の仕事が取れなかったのである。
根っからの職人である父の仕事の取り方は、『いい仕事をする』
それでしかあり得なかったのである。
・・・
現場は早く終っても、仕事の量つまり収入は変わらない。
借地から、自分の土地に建てた家に引っ越すときも、
母に嬉しそうな表情はなかった。
『家よりも貯蓄』そう言っているかのような表情であった。
小学生のチーバカ、
新しい家に引っ越すことを楽しみにしている自分に、罪悪感を感じていた…。

そんな母が劇的に変わる事件が起こる。
それは、まるで誰かが仕組んだかのような事件であった。

へっへっへ。またしても思わせぶりに、続く。

変える?変わる? Ⅲ  

仕事の依頼が思わしくなくなる。

そんなとき、知人への義理立てで
母はとある宗教の集会に何度か足を通わせた。

元々母は宗教に頼るような人間ではない。
祖母の信仰心は、祖父を変えて暮らしを楽にしてくれはしなかった。
自らを救うのは自らの努力でしかない。
他人をあてにすべきではない。
まして神様など…。
それが幼い頃から母が培ってきた、信念といってもいいものであったように思われる。

のちに母は述懐する。
その集会では「あなたが変わらなければならない」と言われたという。
それが母に向けて言われた言葉か、参加者全員に向けて言われた言葉かはわからないが、
『冗談じゃない。
仕事が無いのに、営業もしない。
気に入った施主には、価値もわからない相手に高価な床柱をポンとあげてしまう。
気に入らない施主には無愛想。etc、etc…
変わらなければならないのは夫の方』と思っていたと。

もちろん、あからさまに夫を非難することはなかった。
仕事が忙しくないにもかかわらず、片親として知恵の発達に問題のある子を抱える大工を雇用しても、
『それは自分の事業を順調にやっている雇用主にして初めてやれること』とは言わなかった。
母から聞いたわけではないが、チーバカそんな母の気持ちの数々を感じていた。

当然父もそんな母の気持ちを察していたではあろう。
しかし、父は自分の気持ちを母に打ち明けることはなかった。
ただでさえ口数の少ない父、自分の善意など他人に話せるわけがない…

善意…
言葉がみつからないのでそう書いてみたが、
父にとっては必ずしもそうではないと思う。
例えば上に挙げた例、すなはち、「片親として知恵の発達に問題のある子を抱える大工を雇用」したとき、
父が彼に同情して善意からそうしたのか?
否である。

そこそこ腕はある。
ハンディのある子、しかも片親・・・。
普通の大工以上の苦労をしている。
そんな彼に仕事がない。
それはおかしい、逆である。
そんな人間にこそ仕事が与えられるべきである。

何に対してかはわからない、そんな怒りににも似た気持ちからではなかったろうか?
父そっくりと言われるチーバカはそう考える。
しかし「それはあなたの仕事か?」と問われると、「すまん…」と答えるしかない。
それが父の生き方であるのだが、妻の理解を得られるとは思えない。
本当は、言わずともわかって欲しいところ…。
でも妻にはそんな心のゆとりはない。
だから妻には話せない。



「善意」以外の言葉を探して記事がすすみませんでした。
ために、結局またしても「続く」ことになります。
でも、読者の気を惹くための
新たな考えが浮かびました。

ある意味、夫が妻の気持ちを察するがゆえに起きてしまった事件。
それが母が変わるきっかけであったとは、なんとも皮肉なことである…
続く。

変える?変わる? Ⅳ  

高校2年の頃のこと。
父が保証人となった建設業者が倒産した。
負債額3000万。
当時家が200~300万で建ったことを考えると、今なら1~2億円くらいになろうか。
その負債をかかえることになったのである。

自宅に何人かの職人が集まり、
朝から話をしていた。
と言って、解決策などあるわけもなし。
結局のところ酒を飲みながら愚痴を言って気を紛らわせていただけに過ぎない。
そう、ただの愚痴・・・

台所に居た母が、ビールを持って外に出た。
パン!パン!
ビール瓶の割れる音の後、母の嗚咽する声が聞こえた。
会話は止み、男達は下を向いてうなだれる…

『こんなときに、大の男が集まって昼間っから酒を飲んで愚痴。
ああ、情けないっ!』
しかし、かく思う母にしても、コツコツ働いて返せる額ではないことはわかっていた。
それだけに余計に情けなさがつのる。
自分の無力さを認めたくない。
そんな気持ちが、夫を責めさせたのであろう。

愚痴を言うのも、他人を責めるのも、根は同じ。
自分の無力さから目を背けたい。
そんな心の現われなのだと思う。

しかし、愚痴を言っても、他人を責めても、事態に変わりはない。
『もう何をやってもダメ・・・』
自分の無力さを認めたとき、母は初めて「自分を変える」用意ができた。
「あなたが変わらなければならない」
そう、と或る宗教の集会で言われた言葉。
以来、母は『我(が)』を捨て、感謝の言葉のみを口にした。
夫に、子供に、あらゆる人・物に。
あまりの変わり様に、周囲は「ついに頭が・・・」と思ったほどである。
だが、否定的な言葉ではない、感謝の言葉である。
次第に周囲はそれを受け入れるようになる。

元々真面目で働き者の父、
自分の行動の全てを受け入れられることで、
本来の能力を、思う存分発揮できる環境が整えられた。
「他人に頭を下げることが嫌い」な父が他人に頭を下げる。
『な~に、オレには喜ばせる人がいる。頭の一つや二つ、わけもない…』
仕事が終ると、今度は頭を下げた相手である客が頭を下げる「ありがとうございました」…
その後負債がどうなったかはわからない。
しかし、5年後父が49歳で他界したとき、なにがしかの遺産が残っていた…。


この記事を書き始めるまで、
なぜ父が保証人になどなったのか?
深く考えてもみなかった。

Y建設が分譲を始めるので、資金調達のため銀行から借り入れを起こし、
その建売を請け負う条件で保証人になった。
なんとも、よくありがちな話。
としか考えていなかったのである。

しかし、よく考えると、
果たして父はそんなタイプの人間であったろうか?

梁(はり)に穴を開けるためだけに、専用の鑿(のみ)を鍛冶屋に打たせる、そんな職人。
銘木(めいもく)と呼ばれる、変形の柱を何日もかけて床柱(とこばしら)に仕上げることに喜びを見出す、そんな職人。
建売(たてうり)住宅で儲けようなどという工務店のオヤジではなかった。
だからこそ、頭を下げることを頑なに拒んできたのではなかったろうか?

では何故?

そう、母の希望を叶えてやりたかった。
母にゆとりのある生活をさせてやるため、職人としての楽しみを保留して。
私が出した結論は、これでしかありえなかった。

そしてそれが負債という絶望を生み、結果的には母を変えたのであった。
なんとも不思議なめぐり合わせである・・・
今、そう思う。

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