自満ブログ

自己満足のブログ、略して自満ブログ。 どうやら自満のために生きている筆者のブログ

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たまには『ありがとう』  

その少女、
名は小石(こいし)。

秋風の中、ずぶ濡れになって、
泣き止まない赤ん坊を前に途方に暮れていた。

子守の途中、
井戸辺で一休みしているうち、赤ん坊諸共井戸へ。
幸い浅かったため、なんとか自力で這い上がったのであるが…。

帰る家は既にない。
親戚の家に子守として居させてもらっている身。
こんな不始末をして、どうしていいかわからない。
寒さに震えながらも、せめて赤ん坊が泣き止んでくれないかと あやしてはみるが、
徒労でしかなかった。

どれほどの時間が経っただろう。
たまたま通りがかった、やはり親戚の小母さんがその光景を見咎める。
「まあ!どうしたの、こんなに濡れて!」
彼女を自分の家に連れて帰り、
赤ん坊共々乾いた着物を着せてくれ、
寒さで震える小石に、金平糖を一粒食べさせる。


「あの金平糖はほんとうに美味しかった」
祖母は嬉しそうな顔に戻って私に言った。
外孫であるチーバカが唯一祖母から聞いた『思い出話し』である。

どこやらのブログで紹介されてい『コクーン』という映画のはなしを読んで、
ふとそんなことを思い出し、
祖母に優しくしてくれた、その『小母さん』にお礼が言いたくなったのである。

私が知る限り、祖母は常に控えめで、言いたいことがあってもじっと我慢する。
そんな性格である。
幼い頃からの身の処し方が浸み付いているのだと思う。
逆に考えると、彼女の子供の頃の生活がどんなものであったのか、
想像すると不憫でならない…。

そんな中でも、幼い彼女に優しくしてくれたこの『小母さん』。
思い出として孫に語れる話しにしてくれたこの方に、
彼女の孫として、80年以上も経った今ではありますが、

ありがとうございます。


能書きを言おう思っていたのでありますが、
ちょっと素直になり過ぎてしまったチーバカではありました。
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いわゆる『差別』によせて  

小学校4年の頃の話である。
顔全面に大ヤケドを負ったクラスメートがいた。
いつからなのかは知らないが、ある程度以前のことであろう、
包帯から露出している部分もかなり多く、
ケロイドがはっきり見えていた。

子供とは残酷なもので、
『人と違う』というただそれだけで平気で人を差別する。
チーバカ、
他のクラスメートと共に、その彼の顔をからかっていた。
囃し立てると向かってくるのが面白くて、からかう日々が続いた・・・

こちらは『軽い遊び』のつもりでも、
彼にとっては当然ながら『深刻な問題』であったろう。
ある日、彼は首謀者である私が学校に来るのを待ち構えていた。

今のいわゆるイジメとは違うかもしれない。
『正しい子供のあり方』を指導されないチーバカにとっては、
悪いことをしている意識は少ない。
そのせいか、『軽い遊び』以外のときは、彼とは普通に付き合っていたのである。

ヤケドした顔の表情からはわからないが、
雰囲気で、彼が思いつめているのがわかる。
「オハヨウ。・・・どうした?」
彼は私に一枚の写真を差し出す。
入学のときの記念写真。
写真屋さんで撮ったものである。
端正な顔立ちの利発そうな子供が写っている。
そう、ヤケド前の彼の写真である…。

この瞬間、全てのことを理解した。
いや、少なくともそう思った。
彼がどれほど悩んでいたか。
それを母親に打ち明けたであろうこと。
それに対して写真を渡した、優しく賢い母がいること。
そしてなによりも、彼が全く自分と同じ小学生であること…。
そう、なにも違いなどないということ。

そして自分は
顔面のヤケドというハンディーを負った彼をからかっていたということ…。

「これオマエ?」
「うん!」
「スゲ~ッ!カッコいいじゃん!」本心ではあるが、必要以上に力が入る。
やはり表情からはわからないが、とても嬉しそうな顔をしているのがわかる。

チーバカ、その写真をもって、クラスの誰彼となく見せて回る。
もう彼をからかおうと思う不心得者がいなくなるように。
『今後もし彼をからかうことがあれば、そのときはオレが相手だ!』
おい、おい、張本人が何を言う・・・
そんな思いを込めて。

こうしてチーバカ、一つオトナになったのでありました。

乙女大師   

チーバカには大変仲のいい一つ上の姉がいる。
どれほど仲がいいか?

中学入学後、最初の朝礼。
校長がある作文を読んで、「この子は何が言いたかったんだろう?」と問う。

毎朝当番でトイレの掃除をしている少女。
朝の寒さ、汚れた便器…
でも、これは自分の仕事と掃除に励む。
そんな話。

校長の「どうして皆、顔を伏せるのかな?」との挑発に、
チーバカ、うっかり乗ってしまう。
「はい、君!」

簡単な国語の問題である。
正解は『これが私の仕事だ』という件(くだり)である。
つまり、「これが自分の与えられた仕事なので、辛いけれど頑張っている」と。
ピンポ~ン!

と、思いきや、
どうやら校長の意にそぐわぬ解答だったらしく、
なんのコメントもなく、スルーされてしまった!
ヲイ!正解にしろ不正解にしろ、フォローコメントの場面だろっ!

結局、次の女子生徒のわけのわからないグダグダ解答を、無理やり正解に見立てて、
「そうだね!この子は『自分の仕事が辛い』と言いたかったんだねっ!」
と、自説に持っていってしまった。。。
オイ、オイ、『辛い』じゃなくて『頑張っている』ってだろ。
ったく、困ったじじいだ…。


朝礼の事などすっかり忘れて自宅でゴロゴロしていると、
姉が帰宅するなり、チーバカに駆け寄る。
「オマエは間違ってない!」
「???」
「私もオマエと同じ答えだったし、クラスのみんなに聞いても同じ答えだったんだからっ!」
ああ、なるほど、朝礼の件か。
全校生徒600名の前で、かわいい弟が不当に恥をかかされて、
持ち前の正義感と弟思いの気持ちから、
その日一日、この件で頭が一杯であったのである…。

憤懣やるかたない様子の姉が可笑しくて、
といって、爆笑するわけにもいかないほど真剣な様子に、
ニヤニヤしながら「あァ、そうなんだァ。間違ってはいなかったよね。」

弟の笑顔にホッしたものの、怒りは収まらない。
「あの百姓親爺!」
ひとしきり校長へ悪態をついた後、
弟の輝かしき正解、必要にして十分なパーフェクトな解答のあとに答えた女子生徒へと怒りの矛先が向かう。
「ダラダラとわけのわからないこと言って…」
い、い、いや、姉上、彼女に罪はありません。ククククク…


なぜこんなことを思い出したか?

『作文の感想としてなら、校長の受け取り方もありかな?』
と思っていたのだが、
今日、仕事をしていて、
『あ、校長の受け取り方は、やっぱいけないなァ』
と、実感として考えるに至ったのである。
作文を書いた彼女のために・・・


仕事の話に続く

変える?変わる?  

「貰って欲しい」
「わかりました。いただきます。」
物のやり取りではない。

こうして母が父の元へやってきた。

しかし、その会話には背景がある。

母は子供の頃、下半身に大ヤケドを負い、生死の境をさ迷った。
賢く働き者ではあったが、
その身体的ハンディーは致命的であったのである。
祖父は娘を託すに足る男をみつけのであった。

父はハンディーにひるむこともなく母を受け入れ、
結婚の後も、一度として浮気することもなかった。
そして、そのことを恩に着せるような様子は一切見せなかった。
祖父の見込んだ男であったのだ。

それがなぜ…?

思わせぶりに、続く。へっへっへ。

変える?変わる? Ⅱ  

祖父は博労(ばくろう)といって、牛馬の売買の仲介のような仕事を生業としていた。
しかし、義侠心に篤く、他人には大いに喜ばれていたようだが、
家族の苦労は大変であった。

戦争から帰った祖父は、そこで負った精神的苦悩からか、酒に溺れ、
家計は祖母の細腕では支えることができず、
長女である母が、弟妹の面倒をみながらも働かざるを得なかった。

自分なら我慢できる。
でも、幼い弟妹に辛い思いはさせたくない…
そんな思いから、人一倍働いた。

そんな母が
若くして独立し、棟梁として会社を立ち上げていた父の元に嫁いできたのである。

貧しかったわけではない。
むしろ世間よりは多少とも収入はあった。
三種の神器は早い時期に揃っていた。

しかし貧しさの中で育った母は、いつなんどきどんな事がおこるかもしれない。
そんな心配が常にあった。
動かす金額は大きいが、常に仕事があるという保証はない。
まして、住み込みも含めた若い衆達がいる。
彼らには、仕事が無くても生活費を払わなければならない…
「使う人間にはなるな、使われる人間になれ」
チーバカ、母から何度となく言われた言葉である。

子供に手が掛からなくなると、母は現場の手伝いをするようになった。
チーバカの幼い頃の微かな記憶にある唯一の夫婦喧嘩は、あるいはそのきっかけだったのかもしれない。
つまり、収入の安定を求める母の感情の発現、
有体に言うならば、「もっと家庭の将来のことを考えて!」
母には車もテレビも冷蔵庫も洗濯機も必要はない、貯蓄という安心が必要だったのである。
それは母が幼い頃からの体験に基づく切実な願いであった。
そう思う。
でなければ、仕事に厳格だった父が母の手伝いを簡単に認めるわけはない。

しかし、状況は母の思い通りにはいかなかった。
仕事は多少早くなっても、肝心の仕事が取れなかったのである。
根っからの職人である父の仕事の取り方は、『いい仕事をする』
それでしかあり得なかったのである。
・・・
現場は早く終っても、仕事の量つまり収入は変わらない。
借地から、自分の土地に建てた家に引っ越すときも、
母に嬉しそうな表情はなかった。
『家よりも貯蓄』そう言っているかのような表情であった。
小学生のチーバカ、
新しい家に引っ越すことを楽しみにしている自分に、罪悪感を感じていた…。

そんな母が劇的に変わる事件が起こる。
それは、まるで誰かが仕組んだかのような事件であった。

へっへっへ。またしても思わせぶりに、続く。

変える?変わる? Ⅲ  

仕事の依頼が思わしくなくなる。

そんなとき、知人への義理立てで
母はとある宗教の集会に何度か足を通わせた。

元々母は宗教に頼るような人間ではない。
祖母の信仰心は、祖父を変えて暮らしを楽にしてくれはしなかった。
自らを救うのは自らの努力でしかない。
他人をあてにすべきではない。
まして神様など…。
それが幼い頃から母が培ってきた、信念といってもいいものであったように思われる。

のちに母は述懐する。
その集会では「あなたが変わらなければならない」と言われたという。
それが母に向けて言われた言葉か、参加者全員に向けて言われた言葉かはわからないが、
『冗談じゃない。
仕事が無いのに、営業もしない。
気に入った施主には、価値もわからない相手に高価な床柱をポンとあげてしまう。
気に入らない施主には無愛想。etc、etc…
変わらなければならないのは夫の方』と思っていたと。

もちろん、あからさまに夫を非難することはなかった。
仕事が忙しくないにもかかわらず、片親として知恵の発達に問題のある子を抱える大工を雇用しても、
『それは自分の事業を順調にやっている雇用主にして初めてやれること』とは言わなかった。
母から聞いたわけではないが、チーバカそんな母の気持ちの数々を感じていた。

当然父もそんな母の気持ちを察していたではあろう。
しかし、父は自分の気持ちを母に打ち明けることはなかった。
ただでさえ口数の少ない父、自分の善意など他人に話せるわけがない…

善意…
言葉がみつからないのでそう書いてみたが、
父にとっては必ずしもそうではないと思う。
例えば上に挙げた例、すなはち、「片親として知恵の発達に問題のある子を抱える大工を雇用」したとき、
父が彼に同情して善意からそうしたのか?
否である。

そこそこ腕はある。
ハンディのある子、しかも片親・・・。
普通の大工以上の苦労をしている。
そんな彼に仕事がない。
それはおかしい、逆である。
そんな人間にこそ仕事が与えられるべきである。

何に対してかはわからない、そんな怒りににも似た気持ちからではなかったろうか?
父そっくりと言われるチーバカはそう考える。
しかし「それはあなたの仕事か?」と問われると、「すまん…」と答えるしかない。
それが父の生き方であるのだが、妻の理解を得られるとは思えない。
本当は、言わずともわかって欲しいところ…。
でも妻にはそんな心のゆとりはない。
だから妻には話せない。



「善意」以外の言葉を探して記事がすすみませんでした。
ために、結局またしても「続く」ことになります。
でも、読者の気を惹くための
新たな考えが浮かびました。

ある意味、夫が妻の気持ちを察するがゆえに起きてしまった事件。
それが母が変わるきっかけであったとは、なんとも皮肉なことである…
続く。

変える?変わる? Ⅳ  

高校2年の頃のこと。
父が保証人となった建設業者が倒産した。
負債額3000万。
当時家が200~300万で建ったことを考えると、今なら1~2億円くらいになろうか。
その負債をかかえることになったのである。

自宅に何人かの職人が集まり、
朝から話をしていた。
と言って、解決策などあるわけもなし。
結局のところ酒を飲みながら愚痴を言って気を紛らわせていただけに過ぎない。
そう、ただの愚痴・・・

台所に居た母が、ビールを持って外に出た。
パン!パン!
ビール瓶の割れる音の後、母の嗚咽する声が聞こえた。
会話は止み、男達は下を向いてうなだれる…

『こんなときに、大の男が集まって昼間っから酒を飲んで愚痴。
ああ、情けないっ!』
しかし、かく思う母にしても、コツコツ働いて返せる額ではないことはわかっていた。
それだけに余計に情けなさがつのる。
自分の無力さを認めたくない。
そんな気持ちが、夫を責めさせたのであろう。

愚痴を言うのも、他人を責めるのも、根は同じ。
自分の無力さから目を背けたい。
そんな心の現われなのだと思う。

しかし、愚痴を言っても、他人を責めても、事態に変わりはない。
『もう何をやってもダメ・・・』
自分の無力さを認めたとき、母は初めて「自分を変える」用意ができた。
「あなたが変わらなければならない」
そう、と或る宗教の集会で言われた言葉。
以来、母は『我(が)』を捨て、感謝の言葉のみを口にした。
夫に、子供に、あらゆる人・物に。
あまりの変わり様に、周囲は「ついに頭が・・・」と思ったほどである。
だが、否定的な言葉ではない、感謝の言葉である。
次第に周囲はそれを受け入れるようになる。

元々真面目で働き者の父、
自分の行動の全てを受け入れられることで、
本来の能力を、思う存分発揮できる環境が整えられた。
「他人に頭を下げることが嫌い」な父が他人に頭を下げる。
『な~に、オレには喜ばせる人がいる。頭の一つや二つ、わけもない…』
仕事が終ると、今度は頭を下げた相手である客が頭を下げる「ありがとうございました」…
その後負債がどうなったかはわからない。
しかし、5年後父が49歳で他界したとき、なにがしかの遺産が残っていた…。


この記事を書き始めるまで、
なぜ父が保証人になどなったのか?
深く考えてもみなかった。

Y建設が分譲を始めるので、資金調達のため銀行から借り入れを起こし、
その建売を請け負う条件で保証人になった。
なんとも、よくありがちな話。
としか考えていなかったのである。

しかし、よく考えると、
果たして父はそんなタイプの人間であったろうか?

梁(はり)に穴を開けるためだけに、専用の鑿(のみ)を鍛冶屋に打たせる、そんな職人。
銘木(めいもく)と呼ばれる、変形の柱を何日もかけて床柱(とこばしら)に仕上げることに喜びを見出す、そんな職人。
建売(たてうり)住宅で儲けようなどという工務店のオヤジではなかった。
だからこそ、頭を下げることを頑なに拒んできたのではなかったろうか?

では何故?

そう、母の希望を叶えてやりたかった。
母にゆとりのある生活をさせてやるため、職人としての楽しみを保留して。
私が出した結論は、これでしかありえなかった。

そしてそれが負債という絶望を生み、結果的には母を変えたのであった。
なんとも不思議なめぐり合わせである・・・
今、そう思う。

大工道具  

「ネーちゃんズルイ!」
「オマエにはこっちの二本やるから、これは私のね」
数でだまされたチーバカ、『金色の輪っか』の付いた鉛筆の権利を放棄させられた。

006.jpg
三菱Hi-Uni
世界最高峰の書き味
かどうかは知らないが、
色々な鉛筆を使ったが、大工仕事にはこれが一番と思っている。
木材に線を引いても減りが少ない。
つまり細い線を書き続けることができるのである。
同社のUniなども使っていたことはあるが、
すぐに線が太くなったり、尖らせた先がすぐに折れたりして、
書くたびに鉛筆を削るという『作業』が増えてしまう。
勿論調子も出なくなる。

Hi-Uniは「高い」と言った大工がいた。
1ダース1400円
鉛筆が無くては全く仕事にならないので、毎日フルに使っている。
しかし年に2ダースしか使わない。
チーバカにとってはとてつもなく「安い」道具に思えてならない。

カンナやノミ、最近では電動工具を自慢する大工はいるが、
使っている鉛筆を見れば普段の仕事が見える。
どんなに良い道具を使っても、太い線では正確な仕事はできないのである。

ちびた鉛筆を取り合う子供はいないが、
私も今『金の輪っか』の付いた鉛筆を使っている。

三つ子の魂百まで  

富良野市の外れ、ドラマ「北の国から」のロケ地となった六郷に程近い地に、母の実家がある。
今は無いが、かつてあった家は、開拓者として入植した祖父が自分の手で建てたものであった。

平屋のその家は、小屋裏をそのままのかたちで寝室としていた。
高さこそ低いが、子供6人が寝るには十分な広さであった。

廊下の突き当たりの台所は湧き水の池にかかるように建てられていた。
水道が敷かれてからも、その湧き水が台所仕事に供されていた。

チーバカ、祖父の記憶は無い。
自分が生まれたのが先か、祖父が他界したのが先かすら知らない。
家族を省みなかったという聞いた話ししか知らないチーバカにとって、
その家が唯一、祖父の面影であったのかもしれない。

就寝で、裸電球の点いた小屋裏部屋に入るときのワクワクした気持ち。
とても眠るどころではなかった。
にもかかわらず早起きして、朝食の用意をする祖母や叔母の手伝いと称して、
傍らで湧き水の池の水を汲む…。
チーバカ、祖父が建てたその家が大好きであった。

自分の家を建てたとき、頭の中にあったイメージは、
大工であった父には申し訳ないが、
大雑把で荒削りではあるが、味わい深い祖父の建てたその家であった。

数年前、叔母がチーバカの家に来たとき、
「やっぱり大工さんの建てた家ね~」と言っていた。
『違うよ、祖父ちゃん(開拓者)の家だよ』と思ったが、
よくいる日本人の振りをして、意味不明なニヤニヤ笑いで誤魔化した。

三つ子の魂百まで、か?
幼稚園児だったから、六つ子だけど…

帰省  

ちょっと実家に行ってきた。
動物園ではデジカメの電池切れで写真を撮れず、
自宅の部屋からいつも見ていた十勝岳連峰も三日間雲に隠れ、
かろうじて行けた「青い池」も、曇り時々雨の天気で濁っているだけ…
 (24)

でも、チーバカが珍しく帰って来たことを知った悪友のOが
「おい!飲みに行くぞ」とこれまた喧嘩仲間のKの店に誘う。
そこで、チーバカの記憶には全くない、チーバカの悪行三昧を聞かされ、死ぬほど笑ったのあった。

言って置くが、チーバカ、
ススキノのぼったくりバーで暴れ、ヤクザに監禁されたOとは全く違い、
中学生からは優等生で通った人間である。
たいした悪行などあろうはずはない…と、思っていたのである。

中一で仲間とスイカ泥棒をして売りさばき、とうとう見つかり散弾銃を発泡されたOは言う。
「お前の悪さは普通じゃなかった」

幼稚園のとき、悪さをして罰として物置に閉じ込められたことがあった。
物置の戸を壊して逃げ出したことはかすかに記憶していた。
しかし、Oもそのとき一緒にいたことは忘れていた。

「お前、そのとき『見つかるから別々に逃げよう』って言ったんだぞ」
ウハハハハ!な~るほど。幼稚園児の発想ではないな。
「で次の日園長に『どうして逃げたんだ』って訊かれ、『戸が開いたから』って答えたんだ。お前が無理矢理こじ開けたんじゃねか!」
ヒ~~~っ、ワルだ。知能派のワルだ。

Oの話は続く。
「それでそのあと、園長の車に乗せられてたとき、お前2B弾(クラッカー)出して、俺に渡して園長バッグを見てたんだ。俺マッチ持ってたから2B弾擦ってバッグに入れたら、お前なんて言ったと思う?『園長先生、バッグから煙出てます』って。。。」
ヒエ~~~!信じられん!ワルだ、自分でやらせて置きながら仲間すら売ってしまう、最低のワルだ!
とても幼稚園児とは思われない…

チーバカ、Oに言ってやった。
「お前、友達は選んだ方がいいぞ」
ブハハハハ!
5時間、ほとんど笑いっぱなしの夜であった。

構造力学を勉強し、今では他の追随を許さないほどの土木の専門家となったO。
まだまだチーバカネタを持っているという。
チーバカネタなどどうでもいい。
「お父さんのような人を見つけるまで結婚しない」という娘さんたちを見損ねたので、
また行くしかないか。



元服  

チーバカ、子供の頃親戚の農家でアルバイトをしたことがある。
実はチーバカ、今に至るまで、後にも先にもそのときほど一所懸命に働いたことはない。

小学4年のときであった。
父と仲のいい兄である伯父がチーバカをカボチャ拾いの手伝いに誘った。
現金が好きなチーバカ、小遣いを稼げるとの思いから、一も二もなく快諾したのだが…

アルバイト前日、
母がチーバカを呼んだ。
来客用の座布団にチーバカを座らせ、
「お前は明日H伯父さんのところで仕事をするけれど、決して恥ずかしい仕事をしてはいけない。お前がいい加減な仕事をすれば、お前だけではなく、チーバカ家がいい加減だと思われてしまう。お前はチーバカ家の代表として行くのだということを決して忘れないように。」

『いくら貰えるかな~?ウシシ…』などと考え浮かれていたチーバカ、
一瞬にして奈落の底に突き落とされた。
『チーバカ家の代表として』
アワワワワ…

チーバカの父方の親戚は、かなり面倒な一族で、
10人ほどいる兄弟姉妹は皆個性が強く、良く言えばそれぞれ一家言の持ち主であり、
兄弟姉妹間の対立は茶飯事であった。
のちになるが、父の弟が他界したとき、その嫁である叔母が「今後は一切関わりません」と宣言したほどである。

もちろんそんな大人の事情などチーバカには知る由もなかったが、
簡単な付き合いではないことは、子供ながらに感じてはいた。
そんな付き合いが今、自分に突きつけられたのである。
アワワワワ…

アルバイト当日。
そりゃあもう、一家の威信を背負ったチーバカ、
ラグビー選手もかくやと思われる動きで、蔓から切り離されたカボチャを拾い上げ、ゴールに向かう。
しかし、ヒョイヒョイとカボチャを投げ入れるチーバカに、伯父がクレームをつける。
「チーバカ!そんな風に投げ入れちゃ、カボチャが割れるだろ!もっとそっと置きなさい。」
ウ~ム、なるほど、。
素直なチーバカ、カボチャを優しくそっと置く。
しかし、その『優しくそっと置く』ための時間を取り戻すために、ランニング速度を上げる必要が生ずることとなる…

昼休みの、カボチャのヘタを掴み続けたために切れた親指の痛さも、
仕事の終わり頃には、全然気にならないほど疲れ果てたチーバカ、
『もう二度と親戚のアルバイトなど行かない』と心に決めたのであった。。。


数日後、H伯父さんがチーバカ家に来て、
父と母の前で、チーバカの働き振りを大層褒めた。
そりゃそうである。
同い年でチーバカほど体力がある小学生は滅多に存在しない。
そのチーバカが死ぬほど一所懸命働いたのである。
それを評価しない人間などあろうはずがないのである。ウハハハハ!

と、思う間もなく伯父は言った。
『今度の日曜日、ユリ(の根)拾いの手伝いに来て欲しい。』

アワワワワ…

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