自満ブログ

自己満足のブログ、略して自満ブログ。 どうやら自満のために生きている筆者のブログ

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メッセンジャー  

世に、他人の世話になることが嫌な人がいる。
私が良く知る大工の話。

彼は他人と一緒に仕事をするのが苦手。
合わせることは出来るが、余計な気を使うのが嫌らしい。
材料を階段のない二階に上げるのも、工夫して一人で上げる。
彼に言わせると、
「気ィ使うよっか、頭と体を使う方がいい」のだそうである。

そんな彼も、「上げるの手伝いますよ」と言われて、断りきれないことがある。
すぐに手伝ってもらう場合はまだいい。
しかし、それが間を置いて手伝ってもらうことになる場合は・・・

休憩のときのこと。
「コンパネ上げるなら手伝いますよ」と塗装屋さん。
断りたい件の大工「あに~っ!年寄りだと思ってバカにすな!」(笑)「大丈夫、一人でボチボチ上げるから。上げる前にやることもあるし。」
休憩が終わり、
「じゃ、上げるとき声掛けてください」そういい残して、塗装屋は自分の仕事にかかるため別の部屋に立つ・・・
『(手伝って)いらね~よォ!』と言うわけにもいかず、「はい、よろしく~っ!」
『ああ、メンドクサイ…』

上げる用意ができた。
さて、塗装屋さんに声を掛けねば(ああ、メンドクサイ)。
『上げてもらえる?』
と言えば、気軽にやってもらえることはわかっている。
『どうもね~!』
で相手も満足してくれることもわかっている。
でも、それは嘘をつくことなのである。
本当はうれしくないないのに・・・。
本当は『放っといてくれ』という性格の悪い人間なのに・・・。

で、大工が言った言葉は…。

大工「塗装屋さん、なんかあっちで大工が『コンパネ上げろ』って騒いでるんだけど、どうする?」
塗装屋さん「ああ、あのメガネ掛けた大工ですか?ククク…」
大工、メガネを直しながら「うん、そう。でも忙しけりゃ、『コンパネぐらい自分であげろっ!』って言っとくけど?」
塗装屋さん「しょうがね~なァ、上げてやりますか?アッハッハ!」

そう来なくっちゃ!
ああ、これで気が楽になった。
『たかだかコンパネを上げるのを手伝うくらいで、塗装屋めっ!なんて恩着せがましい奴だ…ワッハッハ!』
全く性格の悪い大工である。
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鼻うがい  

チーバカ、
昔から風邪には滅法弱かった。
冬になると、毎年のように風邪に罹っていた。
よく扁桃腺が腫れるため、ルゴールは常備薬で、
いつも自分で、ノドチンコに綿棒で塗っていた。

大きくなって、
風邪になると、鼻の奥・口の上が熱をもち、そこが患部であると思うようになった。
そこを冷やしたい…
しかし、自分ではどうすることも出来ない。
そう思っていた。

新聞の投書欄で、「『鼻うがい』がいい」という話しを見る。
しかし、そのときは風邪に罹っていなかったため、
「フ~ン」と思っただけであった。

10年ほど前、
いつものように風邪にかかり、
塩水でうがいしていたときのこと。
ガラガラガラガラ…
吐き出そうとしたとき、なにかの拍子に塩水が鼻に入り、
ゲホ!ゲホ!
鼻から塩水が、タラ~リ・・・

あ、「あそこ」に塩水が行った。
お~そうであったか!
こうすれば「あそこ」に水が通るのか!
う~む、なんかいい感じ。
『鼻うがい』のなんたるかは全く知らないチーバカ、
これが『鼻うがい』であると思ったのである。

ネットを始めてから知った『鼻うがい』は、
どうやら鼻から入れて、反対側の鼻、あるいは口から出すもののようである。
しかし、それとは知らぬチーバカ、
奇人・変人コーナーに出られるような技を習得すべく、
『チーバカ鼻うがい』に励む。
しかも、鼻の粘膜に悪いウルトラ高濃度の塩水で。

初期だったためか、二日ほどで風邪が治ってしまった。
以後、風邪をひくと『チーバカ鼻うがい』をして、自分で治している。
インフルエンザにも多分何度か罹っている。
しかし、チーバカは2~3日で回復してしまい、
症状は嫁に出るだけである。
ここ10年ほど、風邪で苦しんだことはない。

塩水を鼻から垂らすチーバカを見て、
『チーバカ鼻うがい』を白い目で見ていた嫁も、
去年は、よほど辛かったのか、秘かに試していた。
塩水がわづかに通ったは一度だけだったらしいが、
「少しはいいかも」と言っていた。
その後、修行に励んだようだが、二度と通ることはなく、
結局、寝込んでしまった・・・。

世間ではインフルエンザが流行っているようだが、
チーバカ、いつでも『鼻うがい』ですぐに治すことができるので、
全然心配していない。

風邪をひくと、鼻の奥に熱を持つ人は、
一度『鼻うがい』を試してみては?
初期であれば、2~3回(朝・夜一回づつ)で直ってしまいますョ。
ググればやり方や効用もたくさん出てきます。

ただし、『チーバカ鼻うがい』は修行が必要ですが。

ケヤキの枝落とし  

かねてからやる予定の、ケヤキの枝落としkeyaki


keyaki appu


梯子をかけて、更に足場を
asiba 1


渡し
asiba 2


梯子をかける
sarani hasigo
ここまでやれば、あとは簡単。

あっという間に枝落とし完了
edaotosi


これが
keyaki


こう
edaotosi ennkei


チーバカと煙は高いとこが好き・・・
去年の約束をやっと果たせましたとさ。

今80歳のじいさんが生きていれば、また三年後。
跡取りはいない・・・。

一万円  

端材でオーディオラックを作ったとき。
お金をくれる予感があったので、
断りの文句を考えてあった。
「いくら端材とは言え、会社の材料でお金を貰っ(てフトコロに入れ)たら『業務上横領』になってしまいます!」
しかし、この論理的断り文句は、女性には通用しなかった。

正月のお年玉を断ったことのある人はいるだろうか?
子供の遠慮などは一切受け付けては貰えない。
オバサンは、有無を言わさずポケットにねじ込むのである。

チーバカ、三十余年前に戻り、自分の無力さを知る・・・

二万円  

ケヤキの枝落としなんぞ本業ではないし、
そもそも半日もかからなかった。
「な~に、いいってことよ!」と言って、カッコよく去っていくはずであった。

「少ないけれど、これを受け取って欲しい」
二万円・・・

お金を貰うこと自体、意に反している上に、
半日の手間賃としては多すぎる。
「いえ、それは受け取れません」
しかし、相手は上手(うわて)だった。
「受け取ってもらわないと、3年後また頼めません。」
「・・・」
「3年前まで、近所で枝落としをやってくれる人がいたが、亡くなったので頼む人がいなくなって困っている。」
「・・・」
「3年後、自分が生きてたら、誰に頼んだらいいのか?」

チーバカの負けである。
「じゃあ、3年後また私が稼がせていただきます」

都合4万円也  

能登に行きたくなった。
なにはともあれ、現状を確認しなくては始まらない。
ちょうど、仕事が切れる。

しかし、往復の飛行機代が4万円・・・
「仕事が切れて収入がなくなるのに、そんなお金がどこにあるって言うの?」
ごもっとも。。。
と諦めていた。

その後記事に書いた通り、予定外の収入。
そして、一ヶ月にわたるリフォーム工事の最終日、
珍しく「御志し」をいただく。
5千円也。
都合3万5千円。
あれ?4万円には5千円足りないなァ・・・。

でも、これだけあれば大丈夫。
嫁をだまくらかすことができそう。
「ホラ、ホラ、予定外の収入が・・・。ああ、天が『能登へゆけ!』と言っているとしか考えられない!」
「でも、足りないじゃない」
「そこでさ!飛行機ならば現地での足がない。車で行けば現地で困ることがない。」
「ガソリン代上がってるでしょうよ」
「大丈夫、往復2万もあればなんとかなるし、車で寝ることもできる。3万5千円で全て賄える…ハズ」

そして昨日、法事があり、親戚の伯母さんを送って・・・「はい、タクシー代。」
5・千・円・・・

当初必要としていた金額、ピタリ。。。
ワッハッハ!参ったか嫁!
天は『能登へゆけ』と言っている!

ンなわけで、明後日から能登へ旅立つのでありました。
いや、天が行けってね、天が…ククククク

一泊三日  

「無理に寺の形を残さなくてもいいかな」と考え始めている。
住職の父(84)は「5千万円の借金をしても寺を修復したい」という。
気持ちはわかるが、宗教はそんなにやわなもんじゃない、とも思う。
仮設住宅を訪ねて、ただ話し相手になったり、
年寄りには難解な書類作成を手伝ったり。そんな経験を重ねるうち、
「テントでも青空法話でもいいな」と考えるようになった。
「地震が宗教の足元を見直すきっかけになった」


そんな記事を見たのがきっかけであった。
『この人なら話が聞ける』
そう思って現地に向かうことにした。

しかし・・・
結論から言うと、
チーバカ、『住職の父』を読み違えていた。
『住職である父』であったのだ。

チーバカが電話で『住職さんでいらっしゃいますか』と聞いた相手は、まぎれもなく『住職(84)』であり、
チーバカの話などに聞く耳はもっていない人であった。
「『仮設住宅を訪問』と言っても、檀家さん一人か二人がたまたまいただけです」
「??」

どこかの占い師さんが正しくも指摘した通り、
チーバカには「カンペキだと思うと たまにズッコケていらっしゃる」ところがある。
このときもチーバカ、最後まで『住職(84)』と話していることに気付かなかった(って、気付けよ!)。

結果、目的を果たせず、一泊三日の旅が終ったのであった。
あ~疲れた。

モデル住宅  

復興モデル住宅を見学してしてきた。

輪島モデル


門前町モデル


価格は被災者にはチト高めではある。
しかし、実はその存在意義は大きかった。

新潟地震のとき、
復興で潤ったのはハウスメーカーであったと聞いていた。
あるHPでは、
震災時地元の工務店が応急処置で駆けずり回ったのに、新築のときはハウスメーカーに仕事が行ってしまったことを嘆いていた。

あるいはその経験を活かしたものか、
モデルプランを提示することで、地場の中小工務店の支援を意図したそうである。
被災者にとっては間取りや大きさなどの具体的なイメージを描き易く、
施工業者にとっても、設計プランなどの面倒な手間を省くことができる。

だからこのプランは、このままのものを勧めるものではなく、
価格に見合った家造りの叩き台であった。
そしてそこでは、見学だけでなく、利害関係の無い係員が補助金や仕様などの相談を受け付けていた。

う~む、これはすんばらしー!

どうやらその努力が実を結んだせいか、既に相談はほぼ終わり
係員もチーバカの相手をしてくれるほど暇になっていた。
阪神以来のノウハウの蓄積を感じたのであった。

職人のいる風景  

モデルプランと補助金の相談の成果で、
既に個人住宅の復興が進んでいた。
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地元の大工だけでは間に合わず、近隣市町村の職人の応援を仰いでいるという。
一時期はその手配におおわらわであったらしい。
今はあちこちで工事が進んでいる。

土台敷きをしている大工に声をかけ、様子を聞いてみたが、
「自分達も来たばかりで、この辺のことはわからない」とのことであった。

時間があれば、本当は地元の工務店・大工だけでやれれば、安定した仕事が続くのだが、
被災者の側からすれば、そう待ってもいられない。
一日でも早く、常態を取り戻したいであろうし、
仮設住宅の期限も来年に迫っている。

おそらくは地元の職人にとっては2年だけの復興需要で終ることになり、
その後は、ほとんど元の状態、
すなわち「以前は新築などほとんどなく、仕事がない状況だった」
に戻ることになるのであろう。

若く威勢のある大工連中を見かけるにつけ、
背中を丸め、下見板を一枚一枚削って摺り合わせている年配の大工の姿が印象に残っている。


現地にて  

チーバカ、自慢でもないが、若く見られる。
しかし、これまでの経験では、それは必ずしも好ましい結果はもたらさないことが多い。
民宿に泊まるときも、ぞんざいな扱いを受ける。

夕方ふらりと来て「一泊ですが、泊めていただけますか?」という無計画な若造の扱いに
60がらみの宿のおかみは慣れているようだった。
「ひとりなら、予約しているお客さんのために用意してあるお部屋があるから、そこでよければどうぞ」
『予約室』と釘を刺される。
「はい、結構です」(客なのに、なぜか営業スマイル…)
更に、当然のこととばかり「夕食は外で食べられるんですよね。夕食は付きませんから」
『晩飯など食おうが食うまいがこっちの勝手だ!「夕食はつきません」だけで十分だろ!』と思いながらも、
「はい、その辺で食べようかと思います」(おお、なんとオトナの対応!いや普通だけど…)
「だったら、この先の××というお店がいいわ。お刺身定食か天婦羅定食がおいしいから」
「はあ、じゃァそちらで…」
「お部屋はこちらで・・・」と二階の部屋を案内し、「お風呂を沸かすので、荷物を置いて××さんで食事をしてきて下さいな」
名前も訊かれず、追い出される。。。

食事を終えて宿に戻る。
奥へ声を掛け、名前も伝えていなかったことで一笑い。
「記帳しときましょうか?」
「それじゃ、お願いね」
誰も年齢を書いていなかったが、
敢えて『記入して置こう。ムフフ…』。

風呂に入ると、
それまでは気付かなかった地震の爪痕がそこにあった。
浴室のタイルのいたるところに亀裂。
浴槽と壁の堺こそ専門の職人が補修していたが、
他はおそらくオーナーが自ら補修したのであろう、
亀裂の多さに、作業がいい加減になったであろう状況が伺えた。
そう、この地は被害の一番大きい地帯の一つだったのである。

そして、おかみさんが地域の『復興委員』に名を連ねていることは翌日知ることになる。

それはおかしい!  

慣れぬ旅のせいか、十分な睡眠を取れぬまま朝を迎える。
出掛けにおかみさんと、チーバカの旅の目的の話になる。

昨日は、「観光ですか?」と訊かれ、
説明すると話しがながくなりそうだったので、「そうでもないですが、え~、まァ、そんなところかもしれません」
などと、なにがなんだかわけのわからない答えをしていたのであった。

宿帳に書いた年齢を見たおかみさん、
「いや~、すみません。てっきり30代と思っていて、失礼致しました」
『ん?やっぱり失礼されていたのか?』と妙に納得しながらも、
あまりにも正直に『年齢で差別した』ことを詫びるおかみさんが可笑しくて、
話し込む。

ちょうどいいので、来た目的を話し、この辺の復興の様子を聞いてみることにする。
新聞で読んだ記事を揚げ、「いち大工としてなにかお手伝いできることがあるのか、実際の様子を確かめたくて来た」旨を話す。
おかみさんは街の復興計画の委員の一人で、仮設住宅の人のことはよく知らないが、
仮設住宅のボランティアの代表を知っている。
話を聞きたければと、積極的に連絡を取ってくれた。

待つ間、朝食を片付けながらおかみさんが尋ねる。
「でも、どうしてわざわざ茨城から?」
「そうですねェ。家を建てたい人がいる。建てられる職人がいる。それで建たないのはおかしい。そう思ったんです。」
座布団を重ねながら「そうねェ・・・たしかにおかしいわねェ・・・」

新聞記事を読んで最初に思ったことである。
でも実はそれだけではない。
チーバカ、毎日新聞の記事をブログに載せたとき、もっと別のことを考えるに至っていたのである。
『建てたい人がいるならば、その人のためだけではなく、お願いしてでも建てさせてもらいたい』
とすら思っていたのであった・・・。
そしてそれこそが、他の大工ではなく、チーバカでなくてはならぬ理由であったのだ。

さて、これを読者にどう説明するか?
はなはだ心もとないことではあるが、
書き始めてしまったことである。
お付き合いいただこう…。

公式見解  

さて、仮設住宅のボランティアの代表
チーバカの拠って立つ立場、つまりその所属を確認。
いち大工であることを知り、
「では、今の現状を聞きたいということですね」
他意はなく、事務的に現状を説明してくれる。

それは前記事でも簡単に触れたが、のちにモデル住宅で聞いた話とほぼ同様のもであった。
すなはち、助成金を元に八割程度は自力建築が決まっており、
残りの人にも、公的機関により公営住宅が用意される予定である。
個別事例に関しては言及する立場ではない。と
そしてチーバカが言う「役に立てることがあるかもしれない」、その中身を問う。

チーバカ、自宅建築でのノウハウから、「助成金程度で家を建てることの可能性」を伝える。
しかし、それは本来地元の建築業者の手でなされることが望ましく、
敢えて自分がやろうというものではない。
と、こちらも公式見解を述べるに留まった。

おそらくは、『若い』大工がボランティアのつもりで、
地元のことも知らず、ありきたりな話をもってきたのであろう。
そんな受け取られ方をしたのかもしれない。
外見から来る先入観も手伝っていたことであろう。
「被災者の多くは、親戚・友人といった夫々の伝手で家の建築に励んでいる」と。
要は、他所から来た一見の職人の出番ではない、ということであろう。

しかし、仮設からの退去が近づくにつれて、あるいはチーバカのことが思い浮かべられることになるかもしれない。
退去期日との関係もあるが、復興は時期が集中するため、売り手市場となる。
そこでは「割りに合わない仕事」はどうしても敬遠されるのである。
たとえ親戚であっても、「予算の無い一人暮らしの老人に家を」というのは「贅沢」としか映らない。
そんなものだと思う。
諦められる人には公営の住宅は大きな選択肢となろう。
そしてそれが本人にはいいこともある。
しかし、「それでも…」と思う人には、それ以外の選択肢があってもいいはず。
チーバカの公式見解はその選択肢の一つを提供しようというものなのである。

そう、公式見解は。

非公式見解 その2  

かつて、『家を建てる前に、大工さんを育てました』というハウスメーカーのコマーシャルがあった。
当時職人はそれをバカにしていた。
たしかに、工場でほとんど加工され、現場ではそれを合わせるだけの工法では
職人が育つとは思えなかった。
チーバカ、その工法の仕事をやったことがある。
現場での仕事は、合理的なものではあったが、なんとも味気ないものであった。

その後数年。
それほど極端ではないが、「切って組み立てるだけ」そんな工法がごく当たり前になってきた。
そしてそんな合理化された仕事は、職人の賃金を下げる役に立った。
熟練した職人も覚えたての職人も区別はなくなったのである。

更に、戦後の混乱期、高度経済成長、バブル経済と続いた「建てれば売れる」時代の悪しき影響。
すなはち、職人の質の低下は、「欠陥住宅」をもたらし、
阪神淡路を最大の転機としてその転換が求められることとなる。
「手を抜くかもしれない職人」の仕事よりも「ハウスメーカーの作業員」の仕事が信頼を得るようになる。
実際には「胡散臭い工務店」から「信頼できるハウスメーカー」というかたちをとって。

はなはだ大雑把で色々語弊はあるが、
腕の振るいようのない仕事を、生活のため低賃金で請けざるを得ない。
しかも景気が悪くなれば仕事はない。
もちろん保障などない。
その本質は、今問題となっている派遣労働となんら変わるところがないのである。
これがチーバカが考える大工を取り巻く現状である。

幸いにもチーバカ、今自分の好きな事をやらせてもらっている。
そしてそれをお客さんが喜んでくれ、結果工務店の評価も高い。
しかし…。

これからのことを考える。
大工としての自分の未来。
そしてその更に先を。

大工としての自分は、過去の大工の延長上にあり、更にその先が無くてはならない。
でなければ、200年住宅はおろか、100年住宅さえままならない。
住む人がいて、それを維持する職人がいなくてはそれはありえないのである。
チーバカ、職人の加工が全盛だった最後の頃の大工であり、
善くも悪くもその気持ちを知っている最期世代なのである。

おそらくは、薄々感じながらも手加工の頃の「造る悦び」を実感できないでいる大工が増えている。
生活を考えると、冒険などできない大工たち。
そんな大工に、『「造る悦び」はある』と確信し、『それは、生活を犠牲にしなくても可能である』ということを知ってもらえないだろうか?
言葉で言うのはいくらでも言える。
今の自分は、たまたま自分が好きな仕事をできているだけのこと。
そう見えるだろうし、実際そうかもしれない。
しかし、それとは全く別の形でそれができたなら…

それが『最期の世代』のチーバカの仕事。
取り合えず今に不安のない自分であるからこそできる仕事。
決して無理をする積りはない。
否、無理はしてはいけないのである。
「誰でもが、その気にさえなればできる」それが一番大切なことだから。

それを「ひょっとしたら理解してくれるかもしれない」人を見出した。
それが「あらら、本当に能登へ行っちゃった」理由であった。
その人に会えなかった。
本当にお間抜けなチーバカでありました。
バ~カ~~っ!

観光案内  

あ、そうだ。

せっかく能登へ行ったのだから、能登の観光案内を・・・。

能登と言えば必ず目にする
ヒバ林
能登ヒバの林

ここで記念撮影
ヒバ 枝打ち
う~む、ちゃんと枝打ちされ・・・

いい材料になる
ヒバ 角材
ちなみにこれもよく見られる風景

そしてたぶん昔はこんな材料も使って
皮

こんな家が
浜屋造り
造られた・・・

能登半島をほぼ一周して、観たのはこれだけ。
どう?行ってみたくなったでしょう!ウハハハハ!

暑いですから  

暑いとろくなことはない。

「マイルドセブン・スーパーライトふたつ」
タバコの自動販売機に専用カード(タスポ)が必要になってから、
コンビニでタバコを買う機会が増えた。
クレジットカードを差し出す。

「あの~、これは使えないんですが…」
40代の主婦のアルバイトさんが困った顔をする。

「え?いつも使っているんですが?」とチーバカ。
「いえ、お店では使えないんです…」と、やはり困惑顔。

『ん?「お店」?ひょっとして自販機用のカードと勘違い?』
よくよく自分のカードを見ると、タスポとかなり似ている。
と言って、タスポなど持ってはいないし、
持っていたらわざわざコンビニでタバコなど買いはしない。

「これはクレジットカードですが」
「あっ!あらゴメンなさい!」
スミマセン、申し訳ありません、エトセトラ、エトセトラ・・・
あらゆる種類のお詫びの言葉が続く。
いや、そんなに謝られなくてもいいのだが。

仕方ない…
「暑いですからね~?」ニッコリ笑ってお詫びを遮る。
なんでコンビニでアルバイト店員のフォローをしなきゃいけないんだ?
間違っている!
激しく間違っている!
コンビニでの大ボケ店員への正しき対応は、
無言のムッツリ顔、あるいは『早くしやがれ』イライラ顔のどちらかでなければいけない。
それが都会人たるチーバカの取るべき対応なはずなのに…
『暑さのせいか…』

マニュアル的ではない笑顔での「ありがとうごさいました!」という言葉を背に、コンビニを出る。
きしょう!暑いなァ…

大工志望  

なんでも『大工志望』と言う15歳高校生のT君をあずかっている。
と、いっても出席率は50%。
とても『大工志望』とは思われない。

あずけたのは工務店の社長。
どうやら社長も本気で大工になるとは思っていないようである。
「草むしりでもなんでも、とにかくフルに使って欲しい」
知り合いから頼まれて、「社会の厳しさ」を教えようというのが本音であるようだ。

社長の意図はどうあれ、
『大工志望』としてあずかったからには、それなりの対応をするのが筋。
本人の気持ちを確認し、鋸(のこ)・金槌(かなづち)などの手道具の使い方を覚えさせることにする。
今の大工は機械がなければ仕事にならない、しかし機械は使わせない。
危険であるということもあるが、
技術の基本はあくまでも手道具であり、それこそが職人を育てるものなのである。

手道具がどう職人を育てるか?
自分だけが知っている「傲慢さ」を捨てさせ、謙虚な人間にするのである。
…チーバカが言っても説得力は無いようにも思われるが、
そうなんだから仕方が無い。
少なくとも、材料の前ではそうなのである。
腕が悪けりゃ真っ直ぐに切れないし、
力任せに金槌で叩いたら釘が曲がる…

大工一年目、腕が悪いのに無理やり鋸をひいて高い鋸を折ってしまったチーバカ、
「キショー、コノヤロー!」という言葉は、今は自分に向けて発していることが多い。

かように性格の悪いチーバカすら、材料の前では素直になるのである。
そして、その結果としての技術の向上が仕事に対する満足感と、より一層の向上心をもたらす。
誰にでも真っ直ぐ切れる機械との違いである。

チーバカがT君に手道具を使わせるのはそんな理由からである。
つまり、大工の楽しさを味わうこと。
一度この楽しさに浸ってしまえば、多少の「厳しさに耐える」ことなど大した苦労ではなくなるのである。

しかし、この楽しさを知らなければ、「厳しさに耐える」ことは辛いことだと思う。
およそ忍耐のための忍耐など、チーバカにはできはしないし、するつもりもない。
社長がどう言おうが、T君にもそうさせるつもりはない。
まずは、楽しさを味わわせること。
それが「夏休みが終るまで」という短期間でできる、またさせるべき唯一の事。
チーバカはそう思う。

このあたりでは、優秀な高校に進学したT君。
社長の話ではあまり学校にも行っていないと言う。
T君に成績を訊いたら、「赤点もあった」とのこと。
付き合う友達も中学時代の子…

勉強や学校の楽しさは教えられないが、
大工の楽しさは教えてやろう。

「ど~ら、できたか?」
ん?一昨日よりは上達したようだ
「なんだ!こんなにピッタリ着けやがって!…これは俺がやったことにしとくかんな。」
T 君、自分でも満足した出来とみえる、「はい」嬉しそうな顔をして答えた。

「やべェ、3年後には抜かれちゃうな」
「そんなことないッスよ」
「バカヤロー!リップサービスだ!アッハッハ!」

いや、ホントに筋がいい…。

口から鼻うがい  

巷間、新型インフルエンザの話題で持ちきりのようである。
以前、風邪対策として、当ブログでチーバカ鼻うがいを記事にしたことがある。

そのときに三毛猫さんからコメントがあり、
「鼻うがい」は危険であるとの警告がなされた。
その後、当ブログにはそれを裏付けるような検索キーワードが続いている。
「鼻うがい 危険」は常にトップの検索ワードであるが、
明らかに危険を冒してしまった人も
「鼻うがい 耳に水が入ったら」「鼻洗浄で耳に水」「鼻うがい 耳の水 抜く」・・・
毎月数人は訪れているようである。

「チーバカ鼻うがい」は通常の鼻うがいとは違って、口から鼻に抜く。
そのため、耳に入る危険が少なく、かつインフルエンザに効果的であると考えている。
今回、流行の兆しが見える新型インフルエンザから、人類を守るため、あらためて記事を書くことにした。
おお!なんという崇高な目的、麗しき人間愛!


ではまず、何故鼻うがい、とりわけ「チーバカ鼻うがい」がインフルエンザに効果があるか?
耳鼻科の先生もおっしゃっているように
ウイルスはまず上気道に取り付くらしい。
チーバカの経験で言うところの、ノドチンコと鼻の奥がそれにあたる。
ノドチンコは通常のうがいで殺菌できるのだが、鼻の奥は通常のうがいでは殺菌できない

そこで鼻うがいが必要となるのであるが、
鼻からの塩水を入れて患部を殺菌するには、耳管に向けて流し込む必要が生ずる。
その結果冒頭に述べたような危険を犯さざるを得なくなる。
「鼻に塩水を入れて上を向く…」普通に考えて、恐れを知らぬ所作としか考えられない。
少なくとも私にはそう思えるのである。

一方「チーバカ鼻うがい」。
実は誰もが一度はどこかで経験していることなのである。
嘉門達夫の「鼻から牛乳」
くしゃみしたときの「鼻からうどん」
咳をこらえたあまり、「グッ!鼻からご飯」
「鼻から塩水」など簡単この上ないのである。

口から塩水を鼻に通す場合の利点は、
無理に耳管付近まで流し込む必要がないということ。
鼻から出そうと思えば、おのずと耳管周辺を通ることになる。
しかも、鼻から入れる場合と違って、一回に通せる量が少ないのである。
私は鼻に3本のうどんはつめられるが、生まれてこの方鼻から2本以上のうどんを出したことは無い(いや、全然説得力は無いが…)。
更に、ここが一番重要と思われるのだが、
「鼻うがい」の場合、最後に上を向くことになるのだが、これが耳管に水が入る最大の要因と思われる。
しかし、口から入れる「チーバカ鼻うがい」の場合、上を向いた状態から、最終的には下を向いて鼻水を垂らすことになる。
したがって、水は耳管周辺を通っても、耳の方ではなく、鼻の方へ流れていくので、耳管に水が入る危険性が極めて低いと考えられるのである。

※但し、上を向いた状態から、そのまま後ろへブリッジの体勢をとると耳管へ流れる恐れがあるので止めましょう。
また、前から下を向く場合でも、上を向いた状態から急激に下を向きそのまま倒立を目指そうとすると、鼻腔内にある副鼻腔に水が入り、副鼻腔炎を起こす危険があるので、気を付けましょう。

かような「チーバカ鼻うがい」をすれば、新型インフルエンザのみならず、旧来のインフルエンザと言えど、恐るるに足らず。
しかも、お金は一切かからないのであります。

では、実際に「チーバカ鼻うがい」を。
というところで、時間となりました。
「実践編」次回ということで。

口から鼻うがい(実践編)  

さて前回の続き。

「チーバカ鼻うがい」の方法。

1.塩水の濃度
  真水はどうやら浸透圧の関係で、鼻に入るとツーンとする痛みがあるようであるし、
  何よりも、当面の目的である殺菌ができない。
  で、塩水の濃度であるが、
  本当は体内の塩分濃度くらいが体にはいいようであるが、
  明らかに風邪の菌に冒されていることがわかっているときは、
  チーバカの場合、ウミイグアナの鼻水程度の濃度でやっている。
  但し、そうすると鼻の粘膜を傷めてしまい、新たな菌に冒されやすくなる危険性も出てくるので、
  注意が必要と思われる。
  
2.塩水の量
  鼻から入れる場合と違って、どんなにたくさんの量を口にいれても、鼻に通せる量は限られる。
  過去の経験から言って、口に含む量は大さじ一杯程度がいいかと思う。
  しかし、それにしたって半分ほども鼻には通らない。

3.通し方
  さて、一番大事で、難しいところである。
  実は書いていても、果たして読んだ人が出来るかどうかはなはだ心もとないのではあるが、
  取りあえず、手順だけを示す。
  塩水を口に含む。
  舌の表面で塩水を保持したまま上を向く。
  舌の奥で気管と食道を塞ぎながら舌を開き塩水をノドへ溜める。
  ノドの上に塩水があたっている感じがすれば、舌の奥を持ち上げながら下を向く。
  以上で終わり。あとは塩水まじりの鼻水を他人に見られないように拭えばメデタシ・メデタシ。
  
  だが、とは人によってはとても難しいことのようである。そこで・・・

ワン ポイント アドバイス!
 の動作のとき、『世界のナベアツ』を思い浮かべ、いち、に、サンでバカになってみるのが有効かと思われる(いや、マジで)。
 の動作のときは、『バナナマン』のヒムラがやるトドの物マネをすると良いかもしれない(いや、ホントに)

以上説明だけはしたが、それをやるのはアナタ。
ただ、ただ、練習あるのみ。
来るべき「新型インフルエンザ流行」の前に「チーバカ鼻うがい」とマスターせられんことを。

尚、失敗して口から塩水を噴出してしまうことがあるので注意せられたし。

似たもの夫婦?  

「ちょっとパソコン上げてて」
テーブルを拭くのに邪魔になる。
で、キーボードを叩いている夫に指示を出す。

夫は『テーブル拭くくらいすぐ終わるだろう』と、ノートパソコンを持ち上げている。
しかし、テーブルに置いてある他の物を片付けながらの作業。
すぐには終わらない。

ノートパソコンとは言え、『前へ習え』の状態で持ち続けるは疲れるので、
パソコンを膝の上に置いておくことにする。

嫁「なにやってるのよ!」
夫「?」
嫁「誰がパソコンを降ろしていいって言ったのよ!」
『あ、なるほど・・・。』

夫「それって、似たもの夫婦になってない?」
嫁「なに言ってるのよ失礼ね。私はアナタほど性格悪くないわよ!」

いや、充分性格悪いのですが・・・

クレーム処理(隣家トラブル)  

狭い路地の突き当たりがリフォーム現場。
路地の半分が前の家の駐車スペースになっているため、
大きな車は通るのがやっと。
大型車が、現場に駐車するために敷地ぎりぎりで曲がる。
そのときに、駐車してあった前の車のすぐ後ろを通過した。
何事も無く、大型車は荷物を降ろして帰っていった。

しばらくして、前の家の主婦が大騒ぎをしている。

チーバカに向かって何かを言っているようである。
面倒臭いが、聞いてあげることにする。

「ここはうちの土地なんですからね!」
「?」
どうやら、大型車がそこを通って、タイヤの跡をつけたのが気に入らないらしい。
舗装もしていない、ただの土なので、大型車のタイヤの跡が少~し凹んでいる。
「こんなに凹んで!直して下さいヨッ!」
憤懣やるかたない様子である。

もちろんチーバカがやったことではないし、工事の責任者でもない。
下手なことを言わずに、「工務店に言って下さい」と言ってもいいのだが、
また、そう言わせるような、切り口上なのであるが、
それも面倒くさいので、
責任者に
代わって対応することにする。

そうと決まると、チーバカ営業モードになる。
『ちょいとタイヤの跡がついたくらいで、大騒ぎするほどのことでもないだろうが?』
などという第三者的な考えはすっかり消えている。
相手の目でタイヤの跡を見る。
『なるほど。凹みは決して大きくはないが、工事さえなければこんな跡はつかなかっただろうし、だいたい他人の土地を通っておいて挨拶もなしというのは気に入らない。放っておいたらどんどんエスカレートして、駐車している車にキズを付けられないとも限らない。ここははっきり言っておかねば。』
これが「タイヤの跡」であり、それは深い溝なのである。

で、これが解れば、あとは比較的簡単。
先ずは、タイヤの跡。
これをクレームの本質と考えると、対応を間違える。
タイヤの跡は直っても「うるさい近隣住民」であり続けるのである。

に、しても、これは相手にとっては重要な(と本人は思っている)ことなので、
適切に対応しなければならない。
土を入れて埋めるだけなのだが。

本当は直ぐにチリトリで土を運んでもいいくらいなのだが、
それでは「火に油」になってしまうので、
「スコップは持って来ていないので、用意してから埋めさせていただきます。」
「工事が終わるまででいいわ」との言葉をもらう。

ムフフ、ラッキー!
時間的余裕ができたということではない。
自分を信頼させるチャンスができたのである。

どういうことか?
後の話になるが、
その日の仕事の帰り、家の中にいる相手を呼び出して、
「タイヤの跡の補修なんですが、明日は来られないので、明後日道具を用意してやらせていただきます」と伝える。
「いつでもいいわよ」
そっけない対応であったが、明後日にはチーバカを「オッ?こいつは中々信用できるぞ」リストに入れることになるはずである。ムフフフフ…

さて話しは殺気立った主婦との会話に戻る。
・・・でも疲れちゃったので、・・・


続く

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