自満ブログ

自己満足のブログ、略して自満ブログ。 どうやら自満のために生きている筆者のブログ

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観光案内  

あ、そうだ。

せっかく能登へ行ったのだから、能登の観光案内を・・・。

能登と言えば必ず目にする
ヒバ林
能登ヒバの林

ここで記念撮影
ヒバ 枝打ち
う~む、ちゃんと枝打ちされ・・・

いい材料になる
ヒバ 角材
ちなみにこれもよく見られる風景

そしてたぶん昔はこんな材料も使って
皮

こんな家が
浜屋造り
造られた・・・

能登半島をほぼ一周して、観たのはこれだけ。
どう?行ってみたくなったでしょう!ウハハハハ!

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非公式見解 その2  

かつて、『家を建てる前に、大工さんを育てました』というハウスメーカーのコマーシャルがあった。
当時職人はそれをバカにしていた。
たしかに、工場でほとんど加工され、現場ではそれを合わせるだけの工法では
職人が育つとは思えなかった。
チーバカ、その工法の仕事をやったことがある。
現場での仕事は、合理的なものではあったが、なんとも味気ないものであった。

その後数年。
それほど極端ではないが、「切って組み立てるだけ」そんな工法がごく当たり前になってきた。
そしてそんな合理化された仕事は、職人の賃金を下げる役に立った。
熟練した職人も覚えたての職人も区別はなくなったのである。

更に、戦後の混乱期、高度経済成長、バブル経済と続いた「建てれば売れる」時代の悪しき影響。
すなはち、職人の質の低下は、「欠陥住宅」をもたらし、
阪神淡路を最大の転機としてその転換が求められることとなる。
「手を抜くかもしれない職人」の仕事よりも「ハウスメーカーの作業員」の仕事が信頼を得るようになる。
実際には「胡散臭い工務店」から「信頼できるハウスメーカー」というかたちをとって。

はなはだ大雑把で色々語弊はあるが、
腕の振るいようのない仕事を、生活のため低賃金で請けざるを得ない。
しかも景気が悪くなれば仕事はない。
もちろん保障などない。
その本質は、今問題となっている派遣労働となんら変わるところがないのである。
これがチーバカが考える大工を取り巻く現状である。

幸いにもチーバカ、今自分の好きな事をやらせてもらっている。
そしてそれをお客さんが喜んでくれ、結果工務店の評価も高い。
しかし…。

これからのことを考える。
大工としての自分の未来。
そしてその更に先を。

大工としての自分は、過去の大工の延長上にあり、更にその先が無くてはならない。
でなければ、200年住宅はおろか、100年住宅さえままならない。
住む人がいて、それを維持する職人がいなくてはそれはありえないのである。
チーバカ、職人の加工が全盛だった最後の頃の大工であり、
善くも悪くもその気持ちを知っている最期世代なのである。

おそらくは、薄々感じながらも手加工の頃の「造る悦び」を実感できないでいる大工が増えている。
生活を考えると、冒険などできない大工たち。
そんな大工に、『「造る悦び」はある』と確信し、『それは、生活を犠牲にしなくても可能である』ということを知ってもらえないだろうか?
言葉で言うのはいくらでも言える。
今の自分は、たまたま自分が好きな仕事をできているだけのこと。
そう見えるだろうし、実際そうかもしれない。
しかし、それとは全く別の形でそれができたなら…

それが『最期の世代』のチーバカの仕事。
取り合えず今に不安のない自分であるからこそできる仕事。
決して無理をする積りはない。
否、無理はしてはいけないのである。
「誰でもが、その気にさえなればできる」それが一番大切なことだから。

それを「ひょっとしたら理解してくれるかもしれない」人を見出した。
それが「あらら、本当に能登へ行っちゃった」理由であった。
その人に会えなかった。
本当にお間抜けなチーバカでありました。
バ~カ~~っ!

非公式見解 その1  

職人の仕事は主に完成度に重点が置かれる。
だが物を造っているうちに、
『こんな物を造ってみたい』と思う気持ちが湧いてくる。

しかし大工の場合、
「こんな家を造って店に並べて売ろう」などということは不可能である。
当たり前のことだが、施主があって初めて仕事があるのである。
施主の意向を無視して仕事はできない。
やりたいことを、『小さな夢』としてそっと心の中にしまっておいて、
日々の仕事に向かう。
好きで大工をやっている者ほどこの傾向は強い。

「扇垂木(おうぎたるき)をやるんですよ」
ある大工が嬉しそうにチーバカに言った。
通常はこんな屋根で
化粧垂木
垂木(たるき)は真っ直ぐ延びているのだが、
『扇垂木』は垂木が放射線状に延びてくる。
頭と手間の要る仕事で、大工でもやったことはおろか、存在すら知らない者もいるくらいである。
今時の施主で知っているなど考えられない。

「え~っ!なんで?」
チーバカの問いに「やってみたかったから」
嬉しそうに笑う。
知り合いから玄関のリフォームの依頼を請け、仕様をまかされたので、
勝手に決めたそうである。フフフ…

勿論これは既にある形式のものではあるが、
滅多にできることではない。
未知の領域なのである。
だから「やってみたかった」。
大工ならそんなものの一つや二つ必ず心にしまってある…はず。
そしてそれはチーバカにもあった。

方形(ほうぎょう)の起(むく)り屋根。
説明するのが大変なので、イメージだけ伝えると・・・
ズングリしたキノコ?そんな家の屋根。

震災後一年の記事を見て、
ローコストで小さな家を考えたときに、
とにかく家を建てましたという悲しい家ではなく、
控えめながらも存在感のある家が必要に思われた。
それが、チーバカが「やってみたかった」屋根を載せるだけで可能になると思ったのである。
材料費は食わない、ただ職人の手間が少し掛かるだけ。
しかし「やってみたかった」大工に手間賃の追加など払う必要はない。

ここで、ボランティアではなく通常の商取引で、職人が心を込めた家造りが可能となるのである。
おそらくは施主も喜び、職人も満足できる家造りが。
だがそれは、施主があって初めて、許可を得るために明かされるべきことで、
第三者に言うことではない。

それゆえ非公式見解-その1-となる。

公式見解  

さて、仮設住宅のボランティアの代表
チーバカの拠って立つ立場、つまりその所属を確認。
いち大工であることを知り、
「では、今の現状を聞きたいということですね」
他意はなく、事務的に現状を説明してくれる。

それは前記事でも簡単に触れたが、のちにモデル住宅で聞いた話とほぼ同様のもであった。
すなはち、助成金を元に八割程度は自力建築が決まっており、
残りの人にも、公的機関により公営住宅が用意される予定である。
個別事例に関しては言及する立場ではない。と
そしてチーバカが言う「役に立てることがあるかもしれない」、その中身を問う。

チーバカ、自宅建築でのノウハウから、「助成金程度で家を建てることの可能性」を伝える。
しかし、それは本来地元の建築業者の手でなされることが望ましく、
敢えて自分がやろうというものではない。
と、こちらも公式見解を述べるに留まった。

おそらくは、『若い』大工がボランティアのつもりで、
地元のことも知らず、ありきたりな話をもってきたのであろう。
そんな受け取られ方をしたのかもしれない。
外見から来る先入観も手伝っていたことであろう。
「被災者の多くは、親戚・友人といった夫々の伝手で家の建築に励んでいる」と。
要は、他所から来た一見の職人の出番ではない、ということであろう。

しかし、仮設からの退去が近づくにつれて、あるいはチーバカのことが思い浮かべられることになるかもしれない。
退去期日との関係もあるが、復興は時期が集中するため、売り手市場となる。
そこでは「割りに合わない仕事」はどうしても敬遠されるのである。
たとえ親戚であっても、「予算の無い一人暮らしの老人に家を」というのは「贅沢」としか映らない。
そんなものだと思う。
諦められる人には公営の住宅は大きな選択肢となろう。
そしてそれが本人にはいいこともある。
しかし、「それでも…」と思う人には、それ以外の選択肢があってもいいはず。
チーバカの公式見解はその選択肢の一つを提供しようというものなのである。

そう、公式見解は。

それはおかしい!  

慣れぬ旅のせいか、十分な睡眠を取れぬまま朝を迎える。
出掛けにおかみさんと、チーバカの旅の目的の話になる。

昨日は、「観光ですか?」と訊かれ、
説明すると話しがながくなりそうだったので、「そうでもないですが、え~、まァ、そんなところかもしれません」
などと、なにがなんだかわけのわからない答えをしていたのであった。

宿帳に書いた年齢を見たおかみさん、
「いや~、すみません。てっきり30代と思っていて、失礼致しました」
『ん?やっぱり失礼されていたのか?』と妙に納得しながらも、
あまりにも正直に『年齢で差別した』ことを詫びるおかみさんが可笑しくて、
話し込む。

ちょうどいいので、来た目的を話し、この辺の復興の様子を聞いてみることにする。
新聞で読んだ記事を揚げ、「いち大工としてなにかお手伝いできることがあるのか、実際の様子を確かめたくて来た」旨を話す。
おかみさんは街の復興計画の委員の一人で、仮設住宅の人のことはよく知らないが、
仮設住宅のボランティアの代表を知っている。
話を聞きたければと、積極的に連絡を取ってくれた。

待つ間、朝食を片付けながらおかみさんが尋ねる。
「でも、どうしてわざわざ茨城から?」
「そうですねェ。家を建てたい人がいる。建てられる職人がいる。それで建たないのはおかしい。そう思ったんです。」
座布団を重ねながら「そうねェ・・・たしかにおかしいわねェ・・・」

新聞記事を読んで最初に思ったことである。
でも実はそれだけではない。
チーバカ、毎日新聞の記事をブログに載せたとき、もっと別のことを考えるに至っていたのである。
『建てたい人がいるならば、その人のためだけではなく、お願いしてでも建てさせてもらいたい』
とすら思っていたのであった・・・。
そしてそれこそが、他の大工ではなく、チーバカでなくてはならぬ理由であったのだ。

さて、これを読者にどう説明するか?
はなはだ心もとないことではあるが、
書き始めてしまったことである。
お付き合いいただこう…。

現地にて  

チーバカ、自慢でもないが、若く見られる。
しかし、これまでの経験では、それは必ずしも好ましい結果はもたらさないことが多い。
民宿に泊まるときも、ぞんざいな扱いを受ける。

夕方ふらりと来て「一泊ですが、泊めていただけますか?」という無計画な若造の扱いに
60がらみの宿のおかみは慣れているようだった。
「ひとりなら、予約しているお客さんのために用意してあるお部屋があるから、そこでよければどうぞ」
『予約室』と釘を刺される。
「はい、結構です」(客なのに、なぜか営業スマイル…)
更に、当然のこととばかり「夕食は外で食べられるんですよね。夕食は付きませんから」
『晩飯など食おうが食うまいがこっちの勝手だ!「夕食はつきません」だけで十分だろ!』と思いながらも、
「はい、その辺で食べようかと思います」(おお、なんとオトナの対応!いや普通だけど…)
「だったら、この先の××というお店がいいわ。お刺身定食か天婦羅定食がおいしいから」
「はあ、じゃァそちらで…」
「お部屋はこちらで・・・」と二階の部屋を案内し、「お風呂を沸かすので、荷物を置いて××さんで食事をしてきて下さいな」
名前も訊かれず、追い出される。。。

食事を終えて宿に戻る。
奥へ声を掛け、名前も伝えていなかったことで一笑い。
「記帳しときましょうか?」
「それじゃ、お願いね」
誰も年齢を書いていなかったが、
敢えて『記入して置こう。ムフフ…』。

風呂に入ると、
それまでは気付かなかった地震の爪痕がそこにあった。
浴室のタイルのいたるところに亀裂。
浴槽と壁の堺こそ専門の職人が補修していたが、
他はおそらくオーナーが自ら補修したのであろう、
亀裂の多さに、作業がいい加減になったであろう状況が伺えた。
そう、この地は被害の一番大きい地帯の一つだったのである。

そして、おかみさんが地域の『復興委員』に名を連ねていることは翌日知ることになる。

職人のいる風景  

モデルプランと補助金の相談の成果で、
既に個人住宅の復興が進んでいた。
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地元の大工だけでは間に合わず、近隣市町村の職人の応援を仰いでいるという。
一時期はその手配におおわらわであったらしい。
今はあちこちで工事が進んでいる。

土台敷きをしている大工に声をかけ、様子を聞いてみたが、
「自分達も来たばかりで、この辺のことはわからない」とのことであった。

時間があれば、本当は地元の工務店・大工だけでやれれば、安定した仕事が続くのだが、
被災者の側からすれば、そう待ってもいられない。
一日でも早く、常態を取り戻したいであろうし、
仮設住宅の期限も来年に迫っている。

おそらくは地元の職人にとっては2年だけの復興需要で終ることになり、
その後は、ほとんど元の状態、
すなわち「以前は新築などほとんどなく、仕事がない状況だった」
に戻ることになるのであろう。

若く威勢のある大工連中を見かけるにつけ、
背中を丸め、下見板を一枚一枚削って摺り合わせている年配の大工の姿が印象に残っている。


モデル住宅  

復興モデル住宅を見学してしてきた。

輪島モデル


門前町モデル


価格は被災者にはチト高めではある。
しかし、実はその存在意義は大きかった。

新潟地震のとき、
復興で潤ったのはハウスメーカーであったと聞いていた。
あるHPでは、
震災時地元の工務店が応急処置で駆けずり回ったのに、新築のときはハウスメーカーに仕事が行ってしまったことを嘆いていた。

あるいはその経験を活かしたものか、
モデルプランを提示することで、地場の中小工務店の支援を意図したそうである。
被災者にとっては間取りや大きさなどの具体的なイメージを描き易く、
施工業者にとっても、設計プランなどの面倒な手間を省くことができる。

だからこのプランは、このままのものを勧めるものではなく、
価格に見合った家造りの叩き台であった。
そしてそこでは、見学だけでなく、利害関係の無い係員が補助金や仕様などの相談を受け付けていた。

う~む、これはすんばらしー!

どうやらその努力が実を結んだせいか、既に相談はほぼ終わり
係員もチーバカの相手をしてくれるほど暇になっていた。
阪神以来のノウハウの蓄積を感じたのであった。

一泊三日  

「無理に寺の形を残さなくてもいいかな」と考え始めている。
住職の父(84)は「5千万円の借金をしても寺を修復したい」という。
気持ちはわかるが、宗教はそんなにやわなもんじゃない、とも思う。
仮設住宅を訪ねて、ただ話し相手になったり、
年寄りには難解な書類作成を手伝ったり。そんな経験を重ねるうち、
「テントでも青空法話でもいいな」と考えるようになった。
「地震が宗教の足元を見直すきっかけになった」


そんな記事を見たのがきっかけであった。
『この人なら話が聞ける』
そう思って現地に向かうことにした。

しかし・・・
結論から言うと、
チーバカ、『住職の父』を読み違えていた。
『住職である父』であったのだ。

チーバカが電話で『住職さんでいらっしゃいますか』と聞いた相手は、まぎれもなく『住職(84)』であり、
チーバカの話などに聞く耳はもっていない人であった。
「『仮設住宅を訪問』と言っても、檀家さん一人か二人がたまたまいただけです」
「??」

どこかの占い師さんが正しくも指摘した通り、
チーバカには「カンペキだと思うと たまにズッコケていらっしゃる」ところがある。
このときもチーバカ、最後まで『住職(84)』と話していることに気付かなかった(って、気付けよ!)。

結果、目的を果たせず、一泊三日の旅が終ったのであった。
あ~疲れた。

都合4万円也  

能登に行きたくなった。
なにはともあれ、現状を確認しなくては始まらない。
ちょうど、仕事が切れる。

しかし、往復の飛行機代が4万円・・・
「仕事が切れて収入がなくなるのに、そんなお金がどこにあるって言うの?」
ごもっとも。。。
と諦めていた。

その後記事に書いた通り、予定外の収入。
そして、一ヶ月にわたるリフォーム工事の最終日、
珍しく「御志し」をいただく。
5千円也。
都合3万5千円。
あれ?4万円には5千円足りないなァ・・・。

でも、これだけあれば大丈夫。
嫁をだまくらかすことができそう。
「ホラ、ホラ、予定外の収入が・・・。ああ、天が『能登へゆけ!』と言っているとしか考えられない!」
「でも、足りないじゃない」
「そこでさ!飛行機ならば現地での足がない。車で行けば現地で困ることがない。」
「ガソリン代上がってるでしょうよ」
「大丈夫、往復2万もあればなんとかなるし、車で寝ることもできる。3万5千円で全て賄える…ハズ」

そして昨日、法事があり、親戚の伯母さんを送って・・・「はい、タクシー代。」
5・千・円・・・

当初必要としていた金額、ピタリ。。。
ワッハッハ!参ったか嫁!
天は『能登へゆけ』と言っている!

ンなわけで、明後日から能登へ旅立つのでありました。
いや、天が行けってね、天が…ククククク

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