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自満ブログ

自己満足のブログ、略して自満ブログ。 どうやら自満のために生きている筆者のブログ

業者は知っている  

ウッドデッキの仕事。
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施主の親戚の造園屋さんから、回りまわってチーバカに仕事が来た。
チーバカの仕事を見てか、造園屋さんが訊く。
「大工さんはテラスもやるんですか?」
「木を使うなら大体どんな仕事でもできますが?」とチーバカ。
造「アルミテラスはどうですか?」
チ「それはサッシ屋さんの仕事だから、紹介くらいはできますよ」
造「ああ、そうなんですか。実は工務店に頼んだら、エライ高いことかかっちゃって、失敗しました。」

別にチーバカ構想を話したわけではない。
でも、業者(この場合は造園屋さん)は知っている。
信頼できる職人であれば、工務店に頼むより安心できることを。

安心とは何か?
もちろん品質と価格である。

品質は仕事を見れば明らか。
しかし、価格の安心とは?

実は安い高いとは別のところにある。
「ぼられているんじゃないだろうか?」
たとえ赤字でやってもらっていても、それは常につきまとう。
そこに安心の本質がある。
つまり安心できるための情報が不足しているのである。
それは「納得」という言葉に置き換えられるかもしれない。

だから、「出来れば直接知り合いの業者に…」と思う。
単純に[材料価格+労賃+経費]で計算できるからである。
工務店を通すと、そう単純には行かない。
材料価格・直接労務費・間接労務費・経費に夫々得体の知れない金額が上乗せされているかもしれない…
そして、事実そうなのである。

にもかかわらず、この造園屋さんは工務店に頼まざるを得なかった。
チーバカに会うまで、職人、少なくとも「怪しくない」職人の知り合いがいなかったからである。
住宅建築の職人と比較的近い業者ですらそうなのである。
職人が身近にいるということを知らせることが必要だと思うのである。

チーバカに仕事を依頼した植木屋さんと、完成したウッドデッキを眺める
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「現場が職人の展示場」
なんぞと、チーバカらしく[上手い文句]を恥ずかし気もなく披露しながら、帰り仕度をするのであった。。。

ゴミ箱のフタ  

仕事が空いたので、壊れかけていた自治会のゴミ箱のふたを
溜め込んでいた残材で作り直した。

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取り付けていると、近所の人が通りがかりに声をかけてくれる。
「ご苦労様です」
車を停めて声をかける人もいる。
「いや~立派なのができますねェ」

自治会の会合でも、
「やっぱり大工さんですねェ」

ゴミ箱を作ってから4~5年。
ようやくチーバカがそれほど害のない人間であることが認知されてきたか…
フッフッフ、田舎の人は、人がいい。騙されているとも知らないで。

貧乏性のチーバカ、残材を捨てられなくて、
物置がゴチャゴチャになっていたのを掃除しただけなのである。
今は廃棄物処理にも金がかかる。
しかし、それらしいモノを作れば、タダで処分ができる。
しかも「もったいない」という良心の痛みも回避できる。

よ~し、次は屋根でもつけてやろうか…

引渡し  

先々月までの現場。
先週引き渡し。

職人の言葉に続き、施主の言葉。
「・・・自分もプロの仕事をしており、今回職人の皆さんの仕事を・・・」
どっと涙があふれ出て、言葉が続かない。

でももう十分。
全ては伝わった。

このお施主さん、頻繁というわけではないが週に一度くらいの割合で現場を見に来てくれていた。
あるときは奥さんと、あるときは子供連れで、あるときは会社の同僚と。
こちらから話すことはあまりなかったが、よく質問を受けたので、時間の許す限り説明をした。

強い日差しの中、瓦を葺いているところも、
生材を桟積みにして乾かしているところも、
製材加工された床板の配置を考えながら切っているところも、
寒風の中塗装屋さんが外で塗装しているところも、
変更で何度も電気屋さんが来ているところも、
半年にわたって全て見て来た、
その思い。

工場で作られたものではなく、まさに職人の手で造られた家。
それへの賞賛の言葉。
こちらも思わず涙がにじむ。
チーバカ、たしかに受け取らせていただいた。

それは自分に鞭打つときの励ましであり、
仕事への自信につながるものである。
『チーバカ、お前の方向に間違いはない。これからも頑張れよ』

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