あ、
どこかで見覚えのある…

そう、
無双窓(むそうまど)

土間にコンクリート打ったために、
風窓(かざまど)が埋まって・・・

しまったので、
勝手口のドアがあったところを

塞がずに風を通すことにしたのだが、
なにしろ冬は寒い。
そこで飽きもせず、開閉式の無双窓を日曜大工で作ったのである。
開口部は本来建具屋さんの仕事。
ってことは日曜建具屋?
ま、それはどうでもいい。
板金屋さんが竪張りのサイディングを貼った。
ここの開口は「取り外し式の無双窓を入れるから、切りっぱなしでいいよ。」
と、言ったのだが、
切りっぱなしだと、切り口が結構ギザギザしている。

「無双窓を取り外しするんなら、あぶないから」
と、手が当っても危なくないよう見切りを付けてくれた。

面倒だろうと思って、「いいよ、ちょいと気を付けてやれば擦らないから」
と、言ったのだが、
「いや、大工さんは怪我した方がいいけど、お客さんが怪我したらかわいそうだから。」
「ククククク…、なろほど、それならやっといてもらおうか?」
「大工さんが余計な仕事するから、こっちまで仕事ふえちゃった。アッハッハ!」
職人なんてこんなもんである。
そう、こんなもん・・・
ど〜れ、取り付けるか。
・・・
あ、寸法間違った。。。
そう、こんなもんです。
どこかで見覚えのある…

そう、
無双窓(むそうまど)

土間にコンクリート打ったために、
風窓(かざまど)が埋まって・・・

しまったので、
勝手口のドアがあったところを

塞がずに風を通すことにしたのだが、
なにしろ冬は寒い。
そこで飽きもせず、開閉式の無双窓を日曜大工で作ったのである。
開口部は本来建具屋さんの仕事。
ってことは日曜建具屋?
ま、それはどうでもいい。
板金屋さんが竪張りのサイディングを貼った。
ここの開口は「取り外し式の無双窓を入れるから、切りっぱなしでいいよ。」
と、言ったのだが、
切りっぱなしだと、切り口が結構ギザギザしている。

「無双窓を取り外しするんなら、あぶないから」
と、手が当っても危なくないよう見切りを付けてくれた。

面倒だろうと思って、「いいよ、ちょいと気を付けてやれば擦らないから」
と、言ったのだが、
「いや、大工さんは怪我した方がいいけど、お客さんが怪我したらかわいそうだから。」
「ククククク…、なろほど、それならやっといてもらおうか?」
「大工さんが余計な仕事するから、こっちまで仕事ふえちゃった。アッハッハ!」
職人なんてこんなもんである。
そう、こんなもん・・・
ど〜れ、取り付けるか。
・・・
あ、寸法間違った。。。
そう、こんなもんです。
和室の廻り縁。
参考までにこれが廻り縁

見た目には、柱を欠いて廻り縁をぶつけてあるだけのように見える。
でもそれでは柱の欠き取りが深すぎて、柱が弱くなる。
だから大工は柱と

廻り縁の

両方を半分ずつ欠き取って嵌め込む。

柱だけを欠き取るのであれば、素人でも簡単にできる。
出来上がったときの「見た目」は全く同じである。
最近では、そうする大工もいたりする…
どこの工務店でもよくあることだが、
工期が迫ってきて、余裕がありそうにみえると、工期の短縮を考える。
工期に間に合わせるために残業していた、ということなど考えもせず。
和室の廻り縁をやろうかというときのことであった。
いくら苦労して仕事をしても、苦労の甲斐がない。
『そんなに早く終わらせたいのなら、柱をスッパリ欠きとってやろうか?』
もちろんそんなことはしない。
それは自分がよくわかっている。
自分の仕事のやり方なのである。
だからこれまで、工期のために
安易な短縮方法ではなく、残業の方を選んできた。
ただ、やる気が…なくなる。
そんなときである。
「ムッ」とした頭の中に、ふと『これが私の仕事だ』というフレーズが浮かんできたのは。
トイレ掃除。
勝手な想像であるが、
おそらく嫌な仕事で、他の子たちはいい加減にやっていたのだろう。
男子などは掃除よりも騒いでいる方が多かったかもしれない。
でも、やると決まったことはきっちっとやりたい。
そんな子だったのだと思う。
他の子がいい加減な中、真面目にやる理由が必要になる。
それが『これが私の仕事だ』だった。
それは、他人にではなく、自分に発した言葉であったのだ。
だからこの作文を書いたとき、彼女はすでに「辛さ」を克服していたのである。
人間、後ろを見ているときほど辛いことはない。
逆に、前を見ているときはどんな困難も、乗り越える対象でしかない。
「辛い」であろうのは、いい加減にやっている子たちであり、
彼女はきっちりやりたい自分の気持ちを満足させる言葉を見つけたのである。
チーバカ、それを疑わない。
フッ、
だよな〜。
オジサンは自分が選んだ仕事。
やるべきことをやるだけさ〜ね。
どーれ!仕事にかかるかっ!
で、上記の仕事になったとさ。
よ〜し次、かかって来い!ブハハハハ!
参考までにこれが廻り縁

見た目には、柱を欠いて廻り縁をぶつけてあるだけのように見える。
でもそれでは柱の欠き取りが深すぎて、柱が弱くなる。
だから大工は柱と

廻り縁の

両方を半分ずつ欠き取って嵌め込む。

柱だけを欠き取るのであれば、素人でも簡単にできる。
出来上がったときの「見た目」は全く同じである。
最近では、そうする大工もいたりする…
どこの工務店でもよくあることだが、
工期が迫ってきて、余裕がありそうにみえると、工期の短縮を考える。
工期に間に合わせるために残業していた、ということなど考えもせず。
和室の廻り縁をやろうかというときのことであった。
いくら苦労して仕事をしても、苦労の甲斐がない。
『そんなに早く終わらせたいのなら、柱をスッパリ欠きとってやろうか?』
もちろんそんなことはしない。
それは自分がよくわかっている。
自分の仕事のやり方なのである。
だからこれまで、工期のために
安易な短縮方法ではなく、残業の方を選んできた。
ただ、やる気が…なくなる。
そんなときである。
「ムッ」とした頭の中に、ふと『これが私の仕事だ』というフレーズが浮かんできたのは。
トイレ掃除。
勝手な想像であるが、
おそらく嫌な仕事で、他の子たちはいい加減にやっていたのだろう。
男子などは掃除よりも騒いでいる方が多かったかもしれない。
でも、やると決まったことはきっちっとやりたい。
そんな子だったのだと思う。
他の子がいい加減な中、真面目にやる理由が必要になる。
それが『これが私の仕事だ』だった。
それは、他人にではなく、自分に発した言葉であったのだ。
だからこの作文を書いたとき、彼女はすでに「辛さ」を克服していたのである。
人間、後ろを見ているときほど辛いことはない。
逆に、前を見ているときはどんな困難も、乗り越える対象でしかない。
「辛い」であろうのは、いい加減にやっている子たちであり、
彼女はきっちりやりたい自分の気持ちを満足させる言葉を見つけたのである。
チーバカ、それを疑わない。
フッ、
だよな〜。
オジサンは自分が選んだ仕事。
やるべきことをやるだけさ〜ね。
どーれ!仕事にかかるかっ!
で、上記の仕事になったとさ。
よ〜し次、かかって来い!ブハハハハ!
チーバカには大変仲のいい一つ上の姉がいる。
どれほど仲がいいか?
中学入学後、最初の朝礼。
校長がある作文を読んで、「この子は何が言いたかったんだろう?」と問う。
毎朝当番でトイレの掃除をしている少女。
朝の寒さ、汚れた便器…
でも、これは自分の仕事と掃除に励む。
そんな話。
校長の「どうして皆、顔を伏せるのかな?」との挑発に、
チーバカ、うっかり乗ってしまう。
「はい、君!」
簡単な国語の問題である。
正解は『これが私の仕事だ』という件(くだり)である。
つまり、「これが自分の与えられた仕事なので、辛いけれど頑張っている」と。
ピンポ〜ン!
と、思いきや、
どうやら校長の意にそぐわぬ解答だったらしく、
なんのコメントもなく、スルーされてしまった!
ヲイ!正解にしろ不正解にしろ、フォローコメントの場面だろっ!
結局、次の女子生徒のわけのわからないグダグダ解答を、無理やり正解に見立てて、
「そうだね!この子は『自分の仕事が辛い』と言いたかったんだねっ!」
と、自説に持っていってしまった。。。
オイ、オイ、『辛い』じゃなくて『頑張っている』ってだろ。
ったく、困ったじじいだ…。
朝礼の事などすっかり忘れて自宅でゴロゴロしていると、
姉が帰宅するなり、チーバカに駆け寄る。
「オマエは間違ってない!」
「???」
「私もオマエと同じ答えだったし、クラスのみんなに聞いても同じ答えだったんだからっ!」
ああ、なるほど、朝礼の件か。
全校生徒600名の前で、かわいい弟が不当に恥をかかされて、
持ち前の正義感と弟思いの気持ちから、
その日一日、この件で頭が一杯であったのである…。
憤懣やるかたない様子の姉が可笑しくて、
といって、爆笑するわけにもいかないほど真剣な様子に、
ニヤニヤしながら「あァ、そうなんだァ。間違ってはいなかったよね。」
弟の笑顔にホッしたものの、怒りは収まらない。
「あの百姓親爺!」
ひとしきり校長へ悪態をついた後、
弟の輝かしき正解、必要にして十分なパーフェクトな解答のあとに答えた女子生徒へと怒りの矛先が向かう。
「ダラダラとわけのわからないこと言って…」
い、い、いや、姉上、彼女に罪はありません。ククククク…
なぜこんなことを思い出したか?
『作文の感想としてなら、校長の受け取り方もありかな?』
と思っていたのだが、
今日、仕事をしていて、
『あ、校長の受け取り方は、やっぱいけないなァ』
と、実感として考えるに至ったのである。
作文を書いた彼女のために・・・
仕事の話に続く。
どれほど仲がいいか?
中学入学後、最初の朝礼。
校長がある作文を読んで、「この子は何が言いたかったんだろう?」と問う。
毎朝当番でトイレの掃除をしている少女。
朝の寒さ、汚れた便器…
でも、これは自分の仕事と掃除に励む。
そんな話。
校長の「どうして皆、顔を伏せるのかな?」との挑発に、
チーバカ、うっかり乗ってしまう。
「はい、君!」
簡単な国語の問題である。
正解は『これが私の仕事だ』という件(くだり)である。
つまり、「これが自分の与えられた仕事なので、辛いけれど頑張っている」と。
ピンポ〜ン!
と、思いきや、
どうやら校長の意にそぐわぬ解答だったらしく、
なんのコメントもなく、スルーされてしまった!
ヲイ!正解にしろ不正解にしろ、フォローコメントの場面だろっ!
結局、次の女子生徒のわけのわからないグダグダ解答を、無理やり正解に見立てて、
「そうだね!この子は『自分の仕事が辛い』と言いたかったんだねっ!」
と、自説に持っていってしまった。。。
オイ、オイ、『辛い』じゃなくて『頑張っている』ってだろ。
ったく、困ったじじいだ…。
朝礼の事などすっかり忘れて自宅でゴロゴロしていると、
姉が帰宅するなり、チーバカに駆け寄る。
「オマエは間違ってない!」
「???」
「私もオマエと同じ答えだったし、クラスのみんなに聞いても同じ答えだったんだからっ!」
ああ、なるほど、朝礼の件か。
全校生徒600名の前で、かわいい弟が不当に恥をかかされて、
持ち前の正義感と弟思いの気持ちから、
その日一日、この件で頭が一杯であったのである…。
憤懣やるかたない様子の姉が可笑しくて、
といって、爆笑するわけにもいかないほど真剣な様子に、
ニヤニヤしながら「あァ、そうなんだァ。間違ってはいなかったよね。」
弟の笑顔にホッしたものの、怒りは収まらない。
「あの百姓親爺!」
ひとしきり校長へ悪態をついた後、
弟の輝かしき正解、必要にして十分なパーフェクトな解答のあとに答えた女子生徒へと怒りの矛先が向かう。
「ダラダラとわけのわからないこと言って…」
い、い、いや、姉上、彼女に罪はありません。ククククク…
なぜこんなことを思い出したか?
『作文の感想としてなら、校長の受け取り方もありかな?』
と思っていたのだが、
今日、仕事をしていて、
『あ、校長の受け取り方は、やっぱいけないなァ』
と、実感として考えるに至ったのである。
作文を書いた彼女のために・・・
仕事の話に続く。
第五番目に、私はこの事件の審理に入るまでの経過について若干申し述べたいと思います。
守る会の人たちは、今まで森永との間で長い間の自主交渉を続けて参りました。その間、森永の方は世論を欺くためだけに昨年の八・一六声明のように法的責任を認めるのだといったようなことまでおっしゃいました。あるいは今度の、この裁判が始まる数日前にも、守る会の本部にそのような文書を出されたと聞きます。しかし、話をつめて聞けば、私たちには法的責任はないのだ、とこう言われるわけです。
責任を認めないところに本当の交渉あるいは
補償などあり得ないことは、わかりきっていることなのです。世間を欺くためだけにこのような形をとって、真実はなんの真心からなる救済も行わないで本日に至っておるのです。それのみか、この裁判が事件後一八年を経てやっと起こされた。起こすことについて森永はどのように妨害してきたか、私はたまたま自分の手許にこのような確認書を持っております。
これは、森永の現地駐在員のある方が、守る会の堺支部との間で交わした確認書なのです。それにはなんと書いてあるか。「因果関係については訴訟をしないことを前提とした方に対しては認める立場で救済に当たる」、端的に言えば、裁判を起こすのなら救済はしてやらないということなのです。こんな非人道的な言い分が一体どこにありますか。裁判をやれば、治療費も払ってやらない。
この原告の中に重症児の何人かが欠けております。その親たちは言いました。
「先生、私たちは卑怯でしょうか。しかし今、森永から受けておるわずかな治療費でも切られるということはつらいのです」
私たちは「おじさん、無理することはない」、そう言いました。何人かが欠けておるのもそれがためなのです。原告三六名はそういうようなことも踏み切って、この原告となって裁判を提起しておるのであります。
これらの被害者は決して金銭の補償を主たる目的としておるのではございません。本当の願いは、言い古された言葉ではありますが、やはり身体を元の健康な身体に返して欲しい、失った青春を取り戻したいということなのです。そして、それが少しでも実現できるようにといって具体的救済案なるものを提案しておるのです。まさに、この裁判はこのような意味をもっておるわけでございます。
私は、この審理を始めるに際しまして、最後に裁判長に一言お願い致します。どうか一日も早い迅速な、しかも公正な審理と公正な裁判をお願い致します。同時に人間として、子を持つ親として温かい審理をしてやっていただきたいと思うのであります。
同時に被告森永と国に申し上げます。今からでも遅くない。今からでも遅くないんです。日々あなたたちが犯している罪を考えて己の責任を率直に認め、真に被害者の救済に当られんことを切願して止みません。以上をもちまして、私の意見の開陳を終ります。
(編集部注・語句等については、一部訂正している箇所があります)
中坊氏は「40分近い弁論を終えた時、裁判官の表情に変化が表れ、この事件の真相を理解しはじめてくれていると実感しました」と回想している。
その後、裁判と平行して行われていた三者(国・森永・被害者の会)の交渉が実り、
『恒久的救済』を謳った「ひかり協会」が設立され、提訴は取り下げられた。
今も森永は資金の全面的バックアップを行っているという。
ここで事件は一つの解決をみたのである。
しかし、一連の記事の冒頭に述べたことであるが、
これは一企業の教訓であってはならないと思う。
何を教訓とするかは各人夫々であってしかるべきだと思う。
事件当時の森永を、あるいは政府を非難することは容易であろうし、
この裁判が行われた当時(事件後10余年)の状況は、学生運動の時期とも重なっており、
世論の激しい糾弾にあったものと思われる。
だが、それが教訓として、どのように社会に活かされているのか?
昨今の食品業界をみていると、はなはだ疑問に感じる。
そしてそれは、食品業界にとどまらず、社会全体にもいえることのようにも思える。
それは当然のことながら、『社会』に身を置く自分自身に対して向けられる疑問であるべきだ。
自分は森永の社長であったことはなかったか?
徳島工場の工場長であったことはなかったか?
現場の従業員であったことはなかったか?
あるいはまた、他人事のような顔で森永を助けた厚生省ではなかったか?
五人委員会のメンバーではなかったか?
小児科学会にはいなかったか?
学会の顔色を伺いながら目の前の患者を追い払いはしなかったか?
そして、「子供の不幸を金に換える」目で見る隣人ではなかったか?
・・・
おそらくは、全てYESなのである。
本当にそうだと思うのである。
でなければ、彼らの気持ちはわからない。
ただ、今は忘れているだけの、卑怯で狡賢くて無責任で弱い自分。
私にとって彼らを非難することは、自分の中の「彼らと同じ」気持ちを非難することである。
そして自分の言い訳に耳を傾ける。
そこでようやく問題が見えてくる。
そんな教訓であってもらいたいと思うのである。
守る会の人たちは、今まで森永との間で長い間の自主交渉を続けて参りました。その間、森永の方は世論を欺くためだけに昨年の八・一六声明のように法的責任を認めるのだといったようなことまでおっしゃいました。あるいは今度の、この裁判が始まる数日前にも、守る会の本部にそのような文書を出されたと聞きます。しかし、話をつめて聞けば、私たちには法的責任はないのだ、とこう言われるわけです。
責任を認めないところに本当の交渉あるいは
補償などあり得ないことは、わかりきっていることなのです。世間を欺くためだけにこのような形をとって、真実はなんの真心からなる救済も行わないで本日に至っておるのです。それのみか、この裁判が事件後一八年を経てやっと起こされた。起こすことについて森永はどのように妨害してきたか、私はたまたま自分の手許にこのような確認書を持っております。
これは、森永の現地駐在員のある方が、守る会の堺支部との間で交わした確認書なのです。それにはなんと書いてあるか。「因果関係については訴訟をしないことを前提とした方に対しては認める立場で救済に当たる」、端的に言えば、裁判を起こすのなら救済はしてやらないということなのです。こんな非人道的な言い分が一体どこにありますか。裁判をやれば、治療費も払ってやらない。
この原告の中に重症児の何人かが欠けております。その親たちは言いました。
「先生、私たちは卑怯でしょうか。しかし今、森永から受けておるわずかな治療費でも切られるということはつらいのです」
私たちは「おじさん、無理することはない」、そう言いました。何人かが欠けておるのもそれがためなのです。原告三六名はそういうようなことも踏み切って、この原告となって裁判を提起しておるのであります。
これらの被害者は決して金銭の補償を主たる目的としておるのではございません。本当の願いは、言い古された言葉ではありますが、やはり身体を元の健康な身体に返して欲しい、失った青春を取り戻したいということなのです。そして、それが少しでも実現できるようにといって具体的救済案なるものを提案しておるのです。まさに、この裁判はこのような意味をもっておるわけでございます。
私は、この審理を始めるに際しまして、最後に裁判長に一言お願い致します。どうか一日も早い迅速な、しかも公正な審理と公正な裁判をお願い致します。同時に人間として、子を持つ親として温かい審理をしてやっていただきたいと思うのであります。
同時に被告森永と国に申し上げます。今からでも遅くない。今からでも遅くないんです。日々あなたたちが犯している罪を考えて己の責任を率直に認め、真に被害者の救済に当られんことを切願して止みません。以上をもちまして、私の意見の開陳を終ります。
(編集部注・語句等については、一部訂正している箇所があります)
中坊氏は「40分近い弁論を終えた時、裁判官の表情に変化が表れ、この事件の真相を理解しはじめてくれていると実感しました」と回想している。
その後、裁判と平行して行われていた三者(国・森永・被害者の会)の交渉が実り、
『恒久的救済』を謳った「ひかり協会」が設立され、提訴は取り下げられた。
今も森永は資金の全面的バックアップを行っているという。
ここで事件は一つの解決をみたのである。
しかし、一連の記事の冒頭に述べたことであるが、
これは一企業の教訓であってはならないと思う。
何を教訓とするかは各人夫々であってしかるべきだと思う。
事件当時の森永を、あるいは政府を非難することは容易であろうし、
この裁判が行われた当時(事件後10余年)の状況は、学生運動の時期とも重なっており、
世論の激しい糾弾にあったものと思われる。
だが、それが教訓として、どのように社会に活かされているのか?
昨今の食品業界をみていると、はなはだ疑問に感じる。
そしてそれは、食品業界にとどまらず、社会全体にもいえることのようにも思える。
それは当然のことながら、『社会』に身を置く自分自身に対して向けられる疑問であるべきだ。
自分は森永の社長であったことはなかったか?
徳島工場の工場長であったことはなかったか?
現場の従業員であったことはなかったか?
あるいはまた、他人事のような顔で森永を助けた厚生省ではなかったか?
五人委員会のメンバーではなかったか?
小児科学会にはいなかったか?
学会の顔色を伺いながら目の前の患者を追い払いはしなかったか?
そして、「子供の不幸を金に換える」目で見る隣人ではなかったか?
・・・
おそらくは、全てYESなのである。
本当にそうだと思うのである。
でなければ、彼らの気持ちはわからない。
ただ、今は忘れているだけの、卑怯で狡賢くて無責任で弱い自分。
私にとって彼らを非難することは、自分の中の「彼らと同じ」気持ちを非難することである。
そして自分の言い訳に耳を傾ける。
そこでようやく問題が見えてくる。
そんな教訓であってもらいたいと思うのである。
私は第四番目に、その結果、現在の被害者がどのような悲惨な状況下にあるか、ということについて、二、三申し述べたいと思います。これはすべて原告に関することであります。
原告のうち、すでにご存じのように小西健雄君と藤井常明君は死亡しております。昭和四六年と昭和四二年にそれぞれ死亡しております。どのような死に方をしたか。彼らは二人ともてんかんの発作を繰り返し、病院への入院を繰り返しながら、枯木のように痩せ細って、死ぬ前の約一週間というものは四〇度に近い高熱にうなされ、全身脂汗をいっぱいかいて、ある場合には、額に原因不明の吹き出物をいっぱいできさせて、そして長い間、終生離すことのできなかったおむつに、糞を出す力もなく糞の中にまみれて死んでいったのです。
のみならず彼らが生存しておる時、それ以外にも原告の中には、何人かの精神薄弱児がおられます。
この人たちは、心ない世間の人たちから阿呆と呼ばれています。そして外へ遊びに行くと、がんぜない子供たちは、逆にこの子供をいじめるのです。阿呆と言って罵られたり、あるいは殴られたり、蹴られたり、ひどい時には砂をぶっかけられたり、水をかけられたりして、家へ帰ってくることも少なくなかったと聞きます。そんな時、この子供たちは、決して泣かなかったのです。泣かないのは、わからないからだろうとお考えになると思います。しかし、この子供たちは、家に帰って来て、母の手にすがった時には泣き叫んだのです。この子供たちは本当は非常に悲しかったのです。悲しくて抵抗しようにも、一本の健康な手も足もなかったのです。
原告の中にK君という少年がおられます。
彼も同じように、かなりひどい発作を繰り返しております。彼は、自分のその発作が起きてきて、そして粗暴な振る舞いをしだすことが事前にわかるのだそうであります。そうすると、屋外に出て屋根に向かって、石を投げつける。それでも、どうしてもおさまらない彼は、家の中に入って来て、弟や妹の勉強している机を荒らすんだそうです。
小さい時には、お父さんは、それを押しとどめました。なんとかして止めました。しかし、それが大きくなってきてお父さんの力では止められなくなってきました。お父さんはついにK君がいかに可愛くても、ほかの子供を全部犠牲にすることはできないということで、この子を強制的に精神病院へ入れようと決意しました。しかし、その話をする前にK君の方から、自ら「私が精神病院に行きます」と言いました。
K君は現在も、精神病院に入っており、そこから「お父さん、高等学校へ通います」と言って、精神病院から高等学校へ通学しておるのです。時たま帰ってきても日暮れになる前には病院へ帰るという。家にこれ以上いては、家に長くいたくなる。なんとかして逆に早く帰って行くのだそうであります。日暮れになる前に帰って行く、精神病院に帰って行くのを見送られる子供、並びに見送る母親の気持ちは、一体どんな気持ちでしょうか。
滋賀県の原告のある子は、ここ数年前から右目が失明して参りました。充分に働くにも働けないのです。それでも中学校を卒業後、二、三の転職を重ねて、現在、あるスーパーに勤めるようになりました。私が訪問した日、彼女はたまたま出勤していましたが、本来ならば休暇の日でありました。しかしお父さんは言いました。「本人は今、このスーパーの勤めているところですでに森永の子だということがわかりました。そして目が見えないならやめてくれと暗に言われておるんです。ここで、首を切られちゃもう働きに行くところがない、生きて行く自信がないのです。なんとかして首を切らないでください。自分は片方が見えなくとも一般の人たちと同じように働けますと言って、彼女は休みの日にも働きに行」のだそうであります。
被害者は、それなりに一生懸命なんとかして、この世の中で行き続けていきたいと働いております。
しかし、その子供たちの前に控えておるものは、それはいつ、何時どういうことが起こるともしれないということなのです。この病気はそこにまた特徴があるのです。多くの被害者は、あるいは突然修学旅行に行く前の日に、便所の中で、てんかんの発作を起こし、それ以来頻繁に、てんかんの発作が起きる。バスの停留所からバス会社の人の電話がかかってくる。お母さんは、いつも電話を聞くたびに、またどこで倒れたのかと心配しなければならない。あるいは、ここ数年前から突然お腹のあたりに幾百幾千という赤黒いアザがいっぱいできてくる子もいます。
このように、突然どんなことが起こるかもしれないという不安の中に、これらの被害者は暮らしておるのです。しかもその発病形態が極めて多様でありまして、ある子は指になんの指紋もできないほど、皮がむける。あるいはすぐ吐いて、洗面器に一杯ぐらい吐かなければ止まらないほど吐く、こんないろんな症状を呈してくる子供もあります。
私がある家に訪れた時、娘さんと母親と二人おりまして、二人とも目をいっぱい腫らして泣いておった跡が私には、はっきりしました。お母さんが言いました。
「この娘は受験勉強をしたいと言うんだけれども、勉強しようにもどうしても身体がいうことをきかない。癇癪を起こして今朝から畳をかきむしって泣く」
母親はこれに対しなんのなすすべもなく、共に肩を抱いて泣く以外に方法はないのです。
母親は訴えております。
この子供たちは、今まさに問題の一八歳前後になろうとしております。この人たちの青春はもちろんありませんでした。しかしこれからがまさに問題の年なのです。また異口同音にこの親たちが言うことは、自分たちはいずれ先に死ぬ、残った子のこの面倒を誰が見てくれるかということなのです。この事件において被害者の救済が真に望まれるゆえんはまさに、この点にあるのであります。
続く
原告のうち、すでにご存じのように小西健雄君と藤井常明君は死亡しております。昭和四六年と昭和四二年にそれぞれ死亡しております。どのような死に方をしたか。彼らは二人ともてんかんの発作を繰り返し、病院への入院を繰り返しながら、枯木のように痩せ細って、死ぬ前の約一週間というものは四〇度に近い高熱にうなされ、全身脂汗をいっぱいかいて、ある場合には、額に原因不明の吹き出物をいっぱいできさせて、そして長い間、終生離すことのできなかったおむつに、糞を出す力もなく糞の中にまみれて死んでいったのです。
のみならず彼らが生存しておる時、それ以外にも原告の中には、何人かの精神薄弱児がおられます。
この人たちは、心ない世間の人たちから阿呆と呼ばれています。そして外へ遊びに行くと、がんぜない子供たちは、逆にこの子供をいじめるのです。阿呆と言って罵られたり、あるいは殴られたり、蹴られたり、ひどい時には砂をぶっかけられたり、水をかけられたりして、家へ帰ってくることも少なくなかったと聞きます。そんな時、この子供たちは、決して泣かなかったのです。泣かないのは、わからないからだろうとお考えになると思います。しかし、この子供たちは、家に帰って来て、母の手にすがった時には泣き叫んだのです。この子供たちは本当は非常に悲しかったのです。悲しくて抵抗しようにも、一本の健康な手も足もなかったのです。
原告の中にK君という少年がおられます。
彼も同じように、かなりひどい発作を繰り返しております。彼は、自分のその発作が起きてきて、そして粗暴な振る舞いをしだすことが事前にわかるのだそうであります。そうすると、屋外に出て屋根に向かって、石を投げつける。それでも、どうしてもおさまらない彼は、家の中に入って来て、弟や妹の勉強している机を荒らすんだそうです。
小さい時には、お父さんは、それを押しとどめました。なんとかして止めました。しかし、それが大きくなってきてお父さんの力では止められなくなってきました。お父さんはついにK君がいかに可愛くても、ほかの子供を全部犠牲にすることはできないということで、この子を強制的に精神病院へ入れようと決意しました。しかし、その話をする前にK君の方から、自ら「私が精神病院に行きます」と言いました。
K君は現在も、精神病院に入っており、そこから「お父さん、高等学校へ通います」と言って、精神病院から高等学校へ通学しておるのです。時たま帰ってきても日暮れになる前には病院へ帰るという。家にこれ以上いては、家に長くいたくなる。なんとかして逆に早く帰って行くのだそうであります。日暮れになる前に帰って行く、精神病院に帰って行くのを見送られる子供、並びに見送る母親の気持ちは、一体どんな気持ちでしょうか。
滋賀県の原告のある子は、ここ数年前から右目が失明して参りました。充分に働くにも働けないのです。それでも中学校を卒業後、二、三の転職を重ねて、現在、あるスーパーに勤めるようになりました。私が訪問した日、彼女はたまたま出勤していましたが、本来ならば休暇の日でありました。しかしお父さんは言いました。「本人は今、このスーパーの勤めているところですでに森永の子だということがわかりました。そして目が見えないならやめてくれと暗に言われておるんです。ここで、首を切られちゃもう働きに行くところがない、生きて行く自信がないのです。なんとかして首を切らないでください。自分は片方が見えなくとも一般の人たちと同じように働けますと言って、彼女は休みの日にも働きに行」のだそうであります。
被害者は、それなりに一生懸命なんとかして、この世の中で行き続けていきたいと働いております。
しかし、その子供たちの前に控えておるものは、それはいつ、何時どういうことが起こるともしれないということなのです。この病気はそこにまた特徴があるのです。多くの被害者は、あるいは突然修学旅行に行く前の日に、便所の中で、てんかんの発作を起こし、それ以来頻繁に、てんかんの発作が起きる。バスの停留所からバス会社の人の電話がかかってくる。お母さんは、いつも電話を聞くたびに、またどこで倒れたのかと心配しなければならない。あるいは、ここ数年前から突然お腹のあたりに幾百幾千という赤黒いアザがいっぱいできてくる子もいます。
このように、突然どんなことが起こるかもしれないという不安の中に、これらの被害者は暮らしておるのです。しかもその発病形態が極めて多様でありまして、ある子は指になんの指紋もできないほど、皮がむける。あるいはすぐ吐いて、洗面器に一杯ぐらい吐かなければ止まらないほど吐く、こんないろんな症状を呈してくる子供もあります。
私がある家に訪れた時、娘さんと母親と二人おりまして、二人とも目をいっぱい腫らして泣いておった跡が私には、はっきりしました。お母さんが言いました。
「この娘は受験勉強をしたいと言うんだけれども、勉強しようにもどうしても身体がいうことをきかない。癇癪を起こして今朝から畳をかきむしって泣く」
母親はこれに対しなんのなすすべもなく、共に肩を抱いて泣く以外に方法はないのです。
母親は訴えております。
この子供たちは、今まさに問題の一八歳前後になろうとしております。この人たちの青春はもちろんありませんでした。しかしこれからがまさに問題の年なのです。また異口同音にこの親たちが言うことは、自分たちはいずれ先に死ぬ、残った子のこの面倒を誰が見てくれるかということなのです。この事件において被害者の救済が真に望まれるゆえんはまさに、この点にあるのであります。
続く
第三番目に、この事件を公害事件として見ました時に、この事件はもちろん数多くの乳幼児を死なせたという食品公害における世界史上類を見ない大惨事であるということは、言うまでもない。しかし、私はこの観点において特に強調したいのは、被害者の圧殺ということなのであります。
これまでの森永あるいは国の責任といったものは、これはあるいは過失で誤って作った行政上の怠慢であったと言われるかもしれません。
しかし、被害者の圧殺ということに関しましては、それはまさに過失ではなくして故意なのです。しかもこの点でまいりますと被告森永と国とは完全に共謀して、このことを実行したのであります。昭和三〇年一一月二日、あるいは昭和三一年の三月の二六日の通牒によって治癒基準を作り、そして形式的な一斉検診を行って、これらの被害者を、もう後遺症がないといって打ち切ったわけであります。
その結果、大多数の被害者は、お医者さんから「もう大丈夫だよ」と言われることを聞いて喜んで帰りました。何も医学上のことはわからない被害者は、それで喜んで帰ったのです。
また、一部の人たちは、その当時、なお症状が続いていた人も何人かありました。その人たちは、ある場合には入院しておる病院から強制退院までさせられたのです。そして、一斉検診後、なお症状の続いている人が森永に参りますと、森永さんはなんと言われたか。「あなたたちだけ治療費ははらいましょう。よその人には言わんといてください。これは表面沙汰にしないでください」。この原告の中にもそういう人が何人かあります。このようにして、表面上は何も後遺症はないと言って打ち切ったのです。しかし真実は、その後症状は依然として継続していたのです。その結果、多くの被害者達は、行政機関からも医者からも見放されました。その後子供たちの親は子供が悪くなる、あるいは、目が見えなくなる、あるいは、耳が聞こえなくなる、あるいは、てんかんの発作が続く、原因不明の吹き出物が出てくる、こういったたびに、それぞれの医者へ駆けつけました。しかし、どの治療も効果がなかったのです。
そういう時に、母親たちは「ひょっとしたら乳幼児の時にヒ素中毒にかかっておるのです。それとお医者さん、関係があるのではないでしょうか」という言葉を言いますと、お医者さんは、たちまち態度を急変させまして「ヒ素中毒の関係の診断書は、当院では書けません」と言って断るのです。親たちは言いました。「私は診断書が書いてほしいのではない。この子供の病状がヒ素に関係があるのかどうかわからないけれども、あるんならなんとか治療する方法を考えてほしいのです」と頼みましたが、お医者さんたちは、すべて、にべもなくその申し出を断ったわけであります。
そして、世間からは、あの人たちは自分の子供が先天的な病気なのに、それを森永のせいにしているといって冷たい目で見られてきたのです。「一四年目の訪問」によって、ようやくそれが回復されたと、お考えになるかもしれません。しかし、実態はそれから以後も、お医者さんに言っても、あれは一養護教諭の言っていることなのだとして、相手にもされないのです。現在、被害者たちは医者並びに人間に対する限りのない不信感をもっております。
このような悲惨な状況に追い込まれてきたのも、被害者圧殺のせいなのです。私は、公害事件におきまして、公害の被害者は二度殺されるという警句を思い起こします。一回は、事故によって、一回は、第三者機関などによって殺されるというのです。私は、森永事件において、この典型的な原型を、ここに見出すものであります。
この事件後に発生したチッソあるいは新潟の水俣病において、これと同じようなことが行われておるのです。この二つの事件においては、裁判によってその二度目の壁は打ち破られました。私は、この裁判において、この原型について終止符を打たれ、「公害の被害者は、二度殺される」というような警句が、少なくとも日本語ではそういう言葉がなくなることを期待して、この裁判を進めていきたいと考えております。と同時に、被告森永に対して申し上げたい。
あなたたちは、この事故が起きた当時、森永の資本金は四億五〇〇万円、それが現在は字本金六〇億の巨大な企業となって、私たちの前に大手を広げて構えておられます。しかし、あなたたちがかように大きな企業になった陰には、その被害者たちの圧殺があるということも忘れてはならないと思うのであります。と同時に、あなたたちがいかに被害者を抹殺しようとしても、この被害者が叫んでいる声は消せないのです。あなたたちの手によっては、永久に抹殺できないものであることを私は強調したいと思います。あなたたちが本当に被害者を救済してあげるまで、この声は叫び続けるのであります。
続く
尚、上記の経過に関する考察は下記pdfファイルに詳しい。
但し、問題の捉え方の性質上(『事件史の教訓を徹底的に整理する必要』)、
個々の責任よりは、行動の裏にある内的意識に重点が置かれている。
ん?なんのこっちゃ?
とにかく医学界の対応という観点からは一読に値する論文なので、
興味のある方は、タイトルでググッてみて下さい。

これまでの森永あるいは国の責任といったものは、これはあるいは過失で誤って作った行政上の怠慢であったと言われるかもしれません。
しかし、被害者の圧殺ということに関しましては、それはまさに過失ではなくして故意なのです。しかもこの点でまいりますと被告森永と国とは完全に共謀して、このことを実行したのであります。昭和三〇年一一月二日、あるいは昭和三一年の三月の二六日の通牒によって治癒基準を作り、そして形式的な一斉検診を行って、これらの被害者を、もう後遺症がないといって打ち切ったわけであります。
その結果、大多数の被害者は、お医者さんから「もう大丈夫だよ」と言われることを聞いて喜んで帰りました。何も医学上のことはわからない被害者は、それで喜んで帰ったのです。
また、一部の人たちは、その当時、なお症状が続いていた人も何人かありました。その人たちは、ある場合には入院しておる病院から強制退院までさせられたのです。そして、一斉検診後、なお症状の続いている人が森永に参りますと、森永さんはなんと言われたか。「あなたたちだけ治療費ははらいましょう。よその人には言わんといてください。これは表面沙汰にしないでください」。この原告の中にもそういう人が何人かあります。このようにして、表面上は何も後遺症はないと言って打ち切ったのです。しかし真実は、その後症状は依然として継続していたのです。その結果、多くの被害者達は、行政機関からも医者からも見放されました。その後子供たちの親は子供が悪くなる、あるいは、目が見えなくなる、あるいは、耳が聞こえなくなる、あるいは、てんかんの発作が続く、原因不明の吹き出物が出てくる、こういったたびに、それぞれの医者へ駆けつけました。しかし、どの治療も効果がなかったのです。
そういう時に、母親たちは「ひょっとしたら乳幼児の時にヒ素中毒にかかっておるのです。それとお医者さん、関係があるのではないでしょうか」という言葉を言いますと、お医者さんは、たちまち態度を急変させまして「ヒ素中毒の関係の診断書は、当院では書けません」と言って断るのです。親たちは言いました。「私は診断書が書いてほしいのではない。この子供の病状がヒ素に関係があるのかどうかわからないけれども、あるんならなんとか治療する方法を考えてほしいのです」と頼みましたが、お医者さんたちは、すべて、にべもなくその申し出を断ったわけであります。
そして、世間からは、あの人たちは自分の子供が先天的な病気なのに、それを森永のせいにしているといって冷たい目で見られてきたのです。「一四年目の訪問」によって、ようやくそれが回復されたと、お考えになるかもしれません。しかし、実態はそれから以後も、お医者さんに言っても、あれは一養護教諭の言っていることなのだとして、相手にもされないのです。現在、被害者たちは医者並びに人間に対する限りのない不信感をもっております。
このような悲惨な状況に追い込まれてきたのも、被害者圧殺のせいなのです。私は、公害事件におきまして、公害の被害者は二度殺されるという警句を思い起こします。一回は、事故によって、一回は、第三者機関などによって殺されるというのです。私は、森永事件において、この典型的な原型を、ここに見出すものであります。
この事件後に発生したチッソあるいは新潟の水俣病において、これと同じようなことが行われておるのです。この二つの事件においては、裁判によってその二度目の壁は打ち破られました。私は、この裁判において、この原型について終止符を打たれ、「公害の被害者は、二度殺される」というような警句が、少なくとも日本語ではそういう言葉がなくなることを期待して、この裁判を進めていきたいと考えております。と同時に、被告森永に対して申し上げたい。
あなたたちは、この事故が起きた当時、森永の資本金は四億五〇〇万円、それが現在は字本金六〇億の巨大な企業となって、私たちの前に大手を広げて構えておられます。しかし、あなたたちがかように大きな企業になった陰には、その被害者たちの圧殺があるということも忘れてはならないと思うのであります。と同時に、あなたたちがいかに被害者を抹殺しようとしても、この被害者が叫んでいる声は消せないのです。あなたたちの手によっては、永久に抹殺できないものであることを私は強調したいと思います。あなたたちが本当に被害者を救済してあげるまで、この声は叫び続けるのであります。
続く
尚、上記の経過に関する考察は下記pdfファイルに詳しい。
但し、問題の捉え方の性質上(『事件史の教訓を徹底的に整理する必要』)、
個々の責任よりは、行動の裏にある内的意識に重点が置かれている。
ん?なんのこっちゃ?
とにかく医学界の対応という観点からは一読に値する論文なので、
興味のある方は、タイトルでググッてみて下さい。

第二番目に私たちは、消費者として被告森永並びに被告国の責任を考えなければならないと思います。被告森永は言うまでもなくわが国屈指の乳製品メーカーであります。およそ食品というものは、有害なものであってはなりません。有害な食品というものはすでに食品ではないのであります。したがいまして、製品メーカーとしては製品に対する絶対的安全性の確保の義務こそが己の最高の義務であります。被告森永はまさにその義務に違反したのであります。しかも、より非難すべきはその義務違反の態様が自己の企業利潤を上げるためのみであり、安全性を犠牲にしたということであります。
そもそも、このミルクに添加されたという第二燐酸ソーダにしても、新しい牛乳であればそれを使う必要はなかった。現に森永は、今は使っておられないわけであります。私は過日徳島地方裁判所の刑事事件におきまして、森永の弁護人の弁論を聞きました。その時、森永の弁護人はこうおっしゃていました。
「私たちに過失はない。私たちは第二燐酸ソーダを協和産業に発注したのです。協和産業が間違えて第二燐酸ソーダと似て非なる日本軽金属から排出された産業廃棄物を納入したのです。なるほど、一般の主婦が八百屋において物を発注する時にはキャベツを発注しても白菜が入ることもあるでしょう。しかし森永とかいうような専門の業者の間においては、違うものが入るというようなことを考える必要はなかったのです」
このように弁論されるのです。
何十万というこの調整粉乳を製造する専門的メーカーの方が、つきつめれば一般の主婦よりもその注意義務が軽減されるとさえおっしゃるのです。
ここに被告森永の製品の安全性に対する基本的な考え方の誤りを私は見出しました。しかも現在なおその誤りを固守し続けられているわけであります。そして己の責任を、自分のところへ納入した協和産業、あるいはそのもう一つ手前の松野製薬などになすりつけまして、あるいは滑稽にも国にも己の責任をなすりつけておられるわけであります。
しかし、同じ日本軽金属から出た産業廃棄物で南西化学株式会社を経て、国鉄仙台鉄道管理局に納入されたものがございます。その際国鉄は、これを製罐用、すはわちボイラーを洗う製罐用としても、使うに際しましてはその品質を検査し、ヒ素を発見して返品しているのです。同じ物質を森永はなんの検査もなく、こともあろうに乳製品のしかも乳幼児の飲む調整粉乳の中にこれを混入させたのです。
被告森永の責任は極めて明らかであると言わねばならないと思うのであります。
しかも私たち消費者としてなお許せないことは、被告森永はこの物件を、このドライミルクをどのように宣伝して被害者たちにうりつけてきたかということです。
当時、森永はラジオあるいは新聞を通じて「身体の丈夫な頭の良い子を育てましょう。それには森永ドライミルクを飲みましょう」と言って宣伝しました。これほど親にとって甘いささやきはありません。誰でも自分の子供は賢くなってほしいのです。丈夫になってほしい。そのところにつけこんでまず宣伝したのです。
ここに、私が持っておる森永ドライミルク、これはまさに、昭和三〇年当時あなたたちの徳島工場で作られた問題のMF缶であります。
このMF缶にあなたたちは、なんと書かれたか。これによればあなたたちは「森永ドライミルクは、医師の指示に従って乳児用として作られた最も理想的な高級粉乳です。本品は純良牛乳、砂糖及び乳児に消化吸収しやすい滋養素を加え、その他乳児の発育に必要な各種ビタミン塩類を添加して衛生的に乾燥粉末したものであります」と印刷させています。
どこが本当に理想的な粉末乳であり、あるいは衛生的な設備でつくられたものだったのでしょうか。
己が自分の安全性義務の軽減の時には、先ほど申し述べたように軽く主張されながら、宣伝する時には、かような誇大な宣伝をされたのです。
しかも、私は、過日被害者の一人であり、原告の一人でもある方の自宅に訪問した時、その被害者の持っておる母子手帳を見ました。これは昭和三〇年当時の被害者の持っておった母子手帳なのです。この母子手帳のファイルにまであなたたちは、このカバーをつけまして、そのカバーに森永ドライミルクという文字をつけさせでおったわけです。
被害者は、買う時から、また子供を産む時からもらう母子手帳に、森永ドライミルクという表示をつけてもらっていたのです。
しかも、この被害者のいたところは日本海に面した加悦町という極めて辺鄙な場所であります。一日がかりで行かなければならないところなのです。そんな辺鄙な場所にすら、あなたたちは宣伝する時には、あらゆる方法を通じて宣伝しました。また、いわゆる地方公共団体とも癒着して宣伝したのです。他方、己の責任はかように曖昧に考えながら、宣伝の時には、かくまで徹底的な宣伝をしたのです。私は、このことを特に強調したいと思うのであります。
次に、被告国に対しまして、国家というものは国民の健康を維持し、その生命を保持しなければならないという義務があります。それはまた国家としての国民に対する基本的な義務であると考えるのであります。
しかるに、日本軽金属から出た産業廃棄物に対する回答を一年近くも遅らせたり、あるいは、食品衛生法の添加物の規制を自ら緩めたりしたこと、これはひとり行政上の怠慢というだけではなしに、企業の利益のために一般の消費者を犠牲にしたといっても過言ではないと思うのであります。
このように、本件事件はまさに消費者と企業あるいは国家という関係を裁く裁判であります。私はこの点を第二番目に強調したいと思うのであります。
続く
そもそも、このミルクに添加されたという第二燐酸ソーダにしても、新しい牛乳であればそれを使う必要はなかった。現に森永は、今は使っておられないわけであります。私は過日徳島地方裁判所の刑事事件におきまして、森永の弁護人の弁論を聞きました。その時、森永の弁護人はこうおっしゃていました。
「私たちに過失はない。私たちは第二燐酸ソーダを協和産業に発注したのです。協和産業が間違えて第二燐酸ソーダと似て非なる日本軽金属から排出された産業廃棄物を納入したのです。なるほど、一般の主婦が八百屋において物を発注する時にはキャベツを発注しても白菜が入ることもあるでしょう。しかし森永とかいうような専門の業者の間においては、違うものが入るというようなことを考える必要はなかったのです」
このように弁論されるのです。
何十万というこの調整粉乳を製造する専門的メーカーの方が、つきつめれば一般の主婦よりもその注意義務が軽減されるとさえおっしゃるのです。
ここに被告森永の製品の安全性に対する基本的な考え方の誤りを私は見出しました。しかも現在なおその誤りを固守し続けられているわけであります。そして己の責任を、自分のところへ納入した協和産業、あるいはそのもう一つ手前の松野製薬などになすりつけまして、あるいは滑稽にも国にも己の責任をなすりつけておられるわけであります。
しかし、同じ日本軽金属から出た産業廃棄物で南西化学株式会社を経て、国鉄仙台鉄道管理局に納入されたものがございます。その際国鉄は、これを製罐用、すはわちボイラーを洗う製罐用としても、使うに際しましてはその品質を検査し、ヒ素を発見して返品しているのです。同じ物質を森永はなんの検査もなく、こともあろうに乳製品のしかも乳幼児の飲む調整粉乳の中にこれを混入させたのです。
被告森永の責任は極めて明らかであると言わねばならないと思うのであります。
しかも私たち消費者としてなお許せないことは、被告森永はこの物件を、このドライミルクをどのように宣伝して被害者たちにうりつけてきたかということです。
当時、森永はラジオあるいは新聞を通じて「身体の丈夫な頭の良い子を育てましょう。それには森永ドライミルクを飲みましょう」と言って宣伝しました。これほど親にとって甘いささやきはありません。誰でも自分の子供は賢くなってほしいのです。丈夫になってほしい。そのところにつけこんでまず宣伝したのです。
ここに、私が持っておる森永ドライミルク、これはまさに、昭和三〇年当時あなたたちの徳島工場で作られた問題のMF缶であります。
このMF缶にあなたたちは、なんと書かれたか。これによればあなたたちは「森永ドライミルクは、医師の指示に従って乳児用として作られた最も理想的な高級粉乳です。本品は純良牛乳、砂糖及び乳児に消化吸収しやすい滋養素を加え、その他乳児の発育に必要な各種ビタミン塩類を添加して衛生的に乾燥粉末したものであります」と印刷させています。
どこが本当に理想的な粉末乳であり、あるいは衛生的な設備でつくられたものだったのでしょうか。
己が自分の安全性義務の軽減の時には、先ほど申し述べたように軽く主張されながら、宣伝する時には、かような誇大な宣伝をされたのです。
しかも、私は、過日被害者の一人であり、原告の一人でもある方の自宅に訪問した時、その被害者の持っておる母子手帳を見ました。これは昭和三〇年当時の被害者の持っておった母子手帳なのです。この母子手帳のファイルにまであなたたちは、このカバーをつけまして、そのカバーに森永ドライミルクという文字をつけさせでおったわけです。
被害者は、買う時から、また子供を産む時からもらう母子手帳に、森永ドライミルクという表示をつけてもらっていたのです。
しかも、この被害者のいたところは日本海に面した加悦町という極めて辺鄙な場所であります。一日がかりで行かなければならないところなのです。そんな辺鄙な場所にすら、あなたたちは宣伝する時には、あらゆる方法を通じて宣伝しました。また、いわゆる地方公共団体とも癒着して宣伝したのです。他方、己の責任はかように曖昧に考えながら、宣伝の時には、かくまで徹底的な宣伝をしたのです。私は、このことを特に強調したいと思うのであります。
次に、被告国に対しまして、国家というものは国民の健康を維持し、その生命を保持しなければならないという義務があります。それはまた国家としての国民に対する基本的な義務であると考えるのであります。
しかるに、日本軽金属から出た産業廃棄物に対する回答を一年近くも遅らせたり、あるいは、食品衛生法の添加物の規制を自ら緩めたりしたこと、これはひとり行政上の怠慢というだけではなしに、企業の利益のために一般の消費者を犠牲にしたといっても過言ではないと思うのであります。
このように、本件事件はまさに消費者と企業あるいは国家という関係を裁く裁判であります。私はこの点を第二番目に強調したいと思うのであります。
続く
























